2021年03月21日

獣道(けものみち)と人の道



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ルオー『ピエロ』



人は芸術に触れてゐなければ、獣となつて、のさばり出さずにはゐられない生き物だと思ひます。


獣になるとは、己が身の要求するところに、己がこころが引き寄せられ過ぎる、そのやうな偏りをもつてしまふことです。


もちろん、人は、腹が減つてゐれば、当然、食べ物を欲しますし、眠たければ眠りに落ちて行きます。


しかし、人といふものは、「パン」のみにて、満たされるやうにできてはゐませんし、眠つてばかりゐることには、心理的にも耐えられません。


人はからだだけでできてゐるのではなく、こころをもつて生きてゐます。


そして、こころは、精神といふ、高い何かに触れなければ、干乾びてしまふやうにできてはゐないでせうか。


その精神から高い何かをもたらしてくれるのは、芸術です。


芸術は、人が人でありつづけるために、なくてはならないものではないでせうか。


そして、人が行ふことすべてが、芸術となりえます。


ひとつひとつの家事から始まるすべての仕事が芸術になりえます。


わたしたちの国、日本においては、多くの仕事が、「芸術」などといふ言ひ方はせずとも、芸術として、「道」として、心意気をもつて、歩まれてをりました。


「道」とは、人が歩くところ、行くところです。


しかし、わたしたちは、いともたやすく獣道にくだつてしまふ悲しい存在かもしれません。


しかし、その悲しみが、かへつて、どつこい、ひとりの人として、人の道を歩まうといふ意欲を掻き立ててきました。


わたしたちは、その意欲をこそ育てたいと念ひます。


意欲さへ殺さずに育み続けてゐれば、人はおのづから、人としての道をめいめい歩み始める生き物です。


何度、崩れ折れても、必ず、立ち上がる生き物です。


すべての仕事、すべての芸術は、意欲をもつて、毎日の練習といふ繰り返しの行為を人に求めます。


そして、その芸術の練習、仕事への習熟が、また、人の意欲を育てます。.


その、芸術と自分との集中した意識の交換、己が意欲の更新を感じることは、人を幸福にします。


さて、古来、日本人は、「言霊のさきはふ国」として、この国を讃えてゐました。


それは、人は誰しも、生きる喜び、悲しみ、すべての感情を感じ、かつ、ことばといふ芸術の中でこそ、初めてその感情を表すことができ、その感情に対する主(あるじ)になることができる不思議に、鋭く気づいてゐたからです。


ことばこそが、獣道(けものみち)から、人をまことの道へと引き戻す、なくてはならないものであることを知つてゐたからです。


ことばそのものに秘められてゐるたましひ・精神自身が、何を希(ねが)つてゐるか。


そこに耳を澄ましつつことばを発して行く。書いて行く。それも、また、「道」です。


わたしたち人は、どのやうなことばを、どのやうに使ふかによつて、その「言霊」との関係を深めることもできれば、浅薄なものに貶めてしまふこともできます。


それは、ひとりひとりの人の自由に任されてゐます。


獣道を歩むこともできるし、ひたすら長い、人の道を歩みゆくこともできるのです。







posted by koji at 11:32 | 大阪 ☔ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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