2021年03月16日

われらが萬葉集 その三 〜耳を澄ます〜






今回は、この萬葉集巻第一の三首目の長歌(ながうた)とその反(かへ)し歌である四首目の短歌(みじかうた)を取り上げさせていただきます。

我が国においては、天皇(すめらみこと)のご存在が、ずつと、民にとつて、人にとつて、そのこころに灯る精神・靈(ひ)の光と熱でありました。

まづ三首目の歌は、舒明天皇の娘であられる中皇女(なかちひめみこ)が、その靈(ひ)なる存在である父が執られる弓の鳴る音に耳を澄ます時のありあまる感動を、詠つたものです(その歌は、間人連老が献つてゐます)。


天皇の宇智の野(ぬ)に遊猟(みかり)したまへる時、
中皇命(なかちひめみこ)の
間人連老(はしひとのむらじおゆ)をして献らせたまふ歌


やすみしし 我が大王(おほきみ)の 
朝(あした)には 取り撫でたまひ
夕へには い倚り立たしし 
み執らしの 梓の弓の
鳴弭(なりはず)の 音すなり
朝猟(あさがり)に 今立たすらし
夕猟(ゆふがり)に 今立たすらし
み執らしの 梓の弓の 鳴弭の音すなり


反(かへ)し歌
玉きはる宇智の大野に馬並なめて朝踏ますらむその草深野



耳を澄ますことと、こころを澄ますことは、ひとつです。

その静かなこころに、ありがたさと輝きと熱が満ちて来ます。

弓とは、昔においては、男にとつての宝でありました(女にとつては鏡が宝でありました)。

猟りをすることが、その地の動物靈を鎮め、その地そのものを人が司ることを促すといふことが知られてゐました。

ましてや、すめらみことが手に執られる弓から放たれる矢の響きに耳を澄ます時、そのこころに静けさが拡がり渡り、満ち満ちて来る精神・靈の光と熱たるや、いかばかりであつたことでせう。



その長歌に対する反し歌は、「たまきはる」といふ、いはゆる「枕言葉」から始まります。

この「たまきはる」は、そもそも、「靈(たま)くみはる」です。

「くみ」とは、「芽ぐみ」や「涙ぐみ」などと同じで、生ひ出て来る、溢れ出て来る、といふ意をもつことばです。

「はる」は、「張る」「漲る」といふ意です。

そんな枕詞ゆゑに、「うち」といふことばに懸かります。

「うち」とは、こころのことです。

「たまきはる・うち」とは、靈が満ち満ちたこころのことを表す詩的言語です。

この反し歌では、「宇智」といふ地名として描かれてありますが、そもそも、文学におけることばとは、外のものを指し示すと共に、うちなる目に見えないものを指し示す機能を持ちます。

よつて、「宇智の大野(おほぬ)」とは、うちなるこころに拡がる大いなる沃野・世界のことです。

その「宇智の大野(おほぬ)」に「馬並(な)めて」と詠はれます。

「馬」とは、走るものです。猟りをするとき人を乗せて駆けるものです。こころのうちの目指すものに向かつて走るものです。

そして、時は「朝」です。新しいこころもち、新しい息吹が通ふ、その時です。

そのうちなるこころに踏み込んでゆく時、そこに生へて拡がる草は深いのです。その深みに獲物は潜んでゐます。

こころの陰に潜んでゐるそれらのものたちに、靈(ひ)の光を当てることを、すめらみことは、意識的に先頭を切つてなされるご存在です。



解き明かしのやうな小癪なことを長々としてしまつた嫌ひがありますが、この第三首目と第四首目に新しい感動をわたし自身覚えてしまひ、思はず、このやうな文をしたためてしまひました。

萬葉集開巻第一首目が、すめらみことご自身による求愛の歌。

第二首目が、「国をみる」といふ行ひの内実をすめらみことご自身が詠ひ上げた歌。

そしてこの第三首目と第四首目で、そのすめらみことのなされることを感動的に、しかも、客観的に、精神的に、描く歌が置かれてゐます。

とにかくも、耳を澄まして聴いていただくことが、なによりのことだと思つてゐます。


どうもありがたうございます。



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