2021年03月14日

激しい時代が始まつてゐる



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「難しければ難しいほど、面白い」。学問においても、芸術においても、そんな風に感じられる子どもを育てていきたい。いや、自分自身こそが、さういふところへ歩を進めていきたい。さう念ひます。


たやすいところ、同じところに甘んじてゐないで、こころを燃え立たせて、前に、前に、歩いて行きたい。


昭和のあるころまでの文化を荷つてゐた人たちは、明らかにその気概がありました。本を読む時も、人は、読みつつ、考へる喜びを知つてゐました。音楽を聴いてさへ、人は、考へてゐた。深く、考へてゐました。そして、考へる力と繰りなすことばとが、知的に綾をなしてゐました。


二年前に終はつた平成といふ三十年間は、文化の面においては何事も分かりやすいことが第一のモットーとなり、社会のあらゆる面においては行き届いたサービスこそが至上の善となりました。


しかし、わたしたちは、自分の人生を成熟させえただらうか。社会は、人が人として、己れが己れとして誇り高く生きていく、そんな雰囲気を醸造しえただらうか。


人は、己れの内なる〈わたし〉を育めば育むほど、自分よりももつとたいせつな人やものがあることに気づき、そのやうに生きていく。そして、過去と未来を繋ぐ存在としての自分といふ人間の役割を自覚することができる。


逆に、他者から与へられてばかりで、〈わたし〉が未成熟なままだと、このわたしこそがもつとも大事なものになつてしまひ、意識は自分のことだけに尽きてしまふのではないでせうか。


難しいものに取り組んでこそ、その中に、崇高と美と真実があることを体得できる。さういつたものをことごとく避けて来たのが、平成の代だつたやうに思はれるのです。


〈わたし〉を育むためには、歯応へのあるものに取り組み続けること。


わたし自身、気づくのが遅すぎたのではないか、と三十年を振り返ります。


そんな平成が過ぎ去り、令和といふ本当に激しい時代が始まつて三年目。これまでとは全く異なり、世を生き抜いて行く気概と、自分自身から何か新しいものを産み出さうとするこころざしを各々育てて行く新しい時代になる、と強く念ひます。先日の娘の卒業式でも、校長先生がしきりに仰つてゐたことも、「チャレンジすることの大切さ」でした。


ふたたび、人の自主独立した精神がものを言ふ時代に。


自分の頭でものを考へ、自分のことばでしつかりとものを言ふ。自分の足でしつかりと立つ。多少の歯応へのあるものにも恐れずに果敢に取り組んでいく。


そんな若者を育てていくためには、わたしたち大人が、これまでのやうな「わかりやすさ第一」「至れり尽くせりのサービス」に甘んじるやうな精神をいま一度見直していいのではないでせうか。


そんな気概を持つて生きて行く人に、わたし自身なることを思ひます。


この世は、風だけでなりたつてゐるのではありません。地水風火まるごとでなりたつてゐます。土も水も風も火も、すべてを感じて、それらと共に生きて行きたいのです。






posted by koji at 08:57 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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