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意識といふことばに怯(ひる)みはすまい。
意識は芸術を殺さずに、深める。
意識が芸術を<わたし>へと引き上げ、わたしたちのマスクのごときパーソナリティの絆から解き放つに於いてである。 (マリー・シュタイナー)
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人は、たいていマスクを被つて生活してゐます。
自分は、かういふタイプ、かういふ性格、かういふ人間・・・そんな自分自身のイメージを当然のやうに身にまとひつつ、生きてはゐないでせうか。
「マスクのごときパーソナリティの絆」に縛られて生きてゐないでせうか。
言語造形の舞台や、教室で、意識して、手足を動かしながら、言葉を話し始めるやいなや、その人のマスクがはがれ始めます。
その人のその人たるところ、その人の幼な子が、顔を顕はし始めます。
さう、天照大御神が、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)の舞ひによつて天岩戸からお出ましになられたやうに、です。
頭部の精神が、手足の芸術的な動きによつて、目覚めるのです。
それは、手足といふ人体の部分が、最も精神に通はれてゐるところだからです。
その手足を意識的に、芸術的に、動かすことで、人は、精神に、神に、通はれ、人の内の精神〈わたし〉がお出ましになるからなのです。
さうしますと、人は、そもそもの自分自身〈わたし〉に立ち返つてまいります。
麗(うるは)しいことではないですか。
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