2021年02月22日
春よ 来い はあやく 来い
大阪の住吉、万代池にも春が近づいて来ました。
しかし、今年、「春よ 来い はあやく 来い」といふ歌を、四季の巡りだけでなく、「こころの巡り」としても、切実に歌つてゐます。
「こころ」とは、「人のこころ」です。
わたしたちは、ますます、その「人のこころ」を、「人のこころ」の次元で見てはゐられなくなつてゐるやうに思はれてなりません。
「人のこころ」を、精神・靈(ひ)の次元で、観たいと思ひます。
さうすることは、こころを健やかに、力強く、確かに、柔らかく育てて行くことに助けになるのです。
精神・靈こそが、こころの糧だからです。
その精神・靈のリアリティーを覚えて行く、そんなこころの春の始まりです。
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「知ることの細道」の章から
どの葉も、どの虫も、わたしたちに数えきれない秘密をあらわにするようになるのは、それらに、わたしたちの目だけでなく、その目をとおして精神が向けられているときである。
どのきらめきも、どの色のニュアンスも、どの音の調子も、目と耳にとっていきいきと覚えられるままでありつづけ、なにも失われはしない。ただ、それらに加えて、限りのない新たな生きるが得られるようになる。
ルドルフ・シュタイナー『人と世を知るということ テオゾフィー』(鈴木一博訳)
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