2021年02月13日

アントロポゾフィーハウス設立のお知らせ 〜メディテーションと芸術実践〜



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東山魁夷「道」



わたしは、自分自身の仕事であり、運動体であるものを、「ことばの家」と銘打つて、これまでアントロポゾフィーと言語造形といふ芸術活動に勤しんできました。


もちろん、これからも、わたしの仕事として「ことばの家」を勤しんで行きます。


しかし、今年、令和3年、2021年からは、自分ひとりだけで仕事をして行くのではなく、自分自身の仕事が他の方々の各々の仕事と結びつくやうな形を模索・実現して行きたいと希つてゐます。


仕事において、他者と協力し合ひながら、自分一人ではできなかつた仕事をひとつひとつ、創り出して行きたいと希つてゐます。


その際に、わたしにとつて大切になるのは、アントロポゾフィーといふ精神(靈・ひ)です。


このアントロポゾフィーを共有して行くことが、他者との共同・協働における大切な点です。


アントロポゾフィーとは何か。何か特別なものなのか。さうとも言へます。しかし、さうとも言へません。そのことには、様々な観点から答へることができるでせう。


ルードルフ・シュタイナー自身は、あるところで、端的に、それは「人であることの意識」だと言つてゐます。


「人であることの意識」。これは、現代を生きるすべての人にとつて、人として生きる上での何かとても大切なものではないでせうか。


「人であることの意識」、それは現代においては、「人がその人であること」「人が、ますます、その人になりゆくこと」「人が、人との関係性の中で、自由と愛を生きること」と言つてもいいのではないでせうか。


「自由と愛」などといふことばは、すぐに宙に浮いてしまふ、大変やつかいなことばでもあるのですが、きつと、どの人も、こころの奥底で、そのことばの実現を乞ひ求めてゐるはずです。


生きた日本語でこのアントロポゾフィーを語ること、それが、わたしがわたし自身に課してゐる大きな、途方もなく大きな仕事です。


アントロポゾフィーとは、「道」です。その「人であることの意識」を学び、それを己れのからだとこころで確かめて行く実践です。人であること、自由であること、愛することができるといふこと、そのことへの「道」と言つてもいいでせう。


その「道」とは、まぎれもなく、読書(講義の受講)と芸術実践です。


わたしは、アントロポゾフィーの基本文献を基にした講義をすることで、おひとりおひとりをみづからする読書へといざなひます。講義において、共に考へること。その考への世の内で、こころを暖めること、励ますこと、ひとりひとり目覚めゆくこと、へと共に歩いて行くのです。読書が、著者の助けを借りながらひとりでするメディテーションであるならば、講義とは、共なるメディテーションと言つてもいいでせう。


わたしは、さらに、言語造形といふことばの芸術を通して、ことばの力の内側に参入して行きます。


その営みを多くの人が必要としてゐることを確信してゐますので、必要とする人とその芸術を分かち合つて行きます。それもまた、極めて具体的な仕事です。


ことばを話すといふ、まぎれもなく、その人まるごとを使ふ芸術的な仕事です。


その仕事のためには、舞台づくりといふものが、何よりもうつてつけです。ですので、共に、舞台を創つて行き、舞台に立つことのできる人を養成していくことが必要です。


己れの外へと飛び出し、世の内に飛び込んで行き、そこでの世との関係性の中で、〈わたし〉を見いだして行くのです。それが芸術実践です。


メディテーション、それは、考へる〈わたし〉の内に、世を見いだすことです・・・。


芸術実践、それは、世の内に、〈わたし〉を見いだすことです・・・。


あなたみづからを見いだしたければ、世を見よ。
世を見いだしたければ、あなたみづからを見よ。


アントロポゾフィーの講義、そして言語造形、それは、どちらも、日本語をもつて「人であることの意識」を耕し、育て、稔らせるやうな仕事です。この仕事には、十年、三十年、百年、何百年とかかるはずです。


これは、わたしがして行く仕事ですが、さらに、他の芸術に勤しんでゐる方々とのコラボレーション、共同でアントロポゾフィーに根付いた仕事をして行くことを今年から始めます。






ひとつめの「読書」もしくは「講義の受講」とは、つまるところ、メディテーションをするといふことです。「本を読む」といふ行為、「講義を聴く」といふ行為は、読む人、聴く人をこころの旅に赴かせるのです。メディテーション・瞑想とは、からだはひとところに据ゑながら、精神(靈・ひ)に向かつてこころの旅をすることです。


それは、考へることから始まり、感じることへ、そして欲することへと、道は続いて行きます。本を読み、講義を聴くことで、著者や講師の考へを受け取り、そして、自分自身の内側に想ひと考へを生み出します。


その考へを囚はれなく受け取る、といふことが、精神の道のはじまりです。決して、盲目の信仰が強要されるのではなく、自分自身の意志で自由にその本に書いてある考へ、講師の語る考へを受け入れるのです。


囚はれなく受け取られた考へが、何度も繰り返し考へられて、曇りなく、まぎれなく考へられて、やがて、腑に落ちます。心根において、よく理解できるやうになつて来ます。そしてその考へを自分自身のこころの内に暖めます。その熱が情の昂ぶりとなりもします。そして、意欲の発露にもなります。その人の内側から、動きが生まれて来ます。


その動きがふたつめの「芸術実践」でもあります。


「芸術実践」とは、その人がその人を見いだして行くために、その人がその都度その都度新しいその人に出会ふために、いまの時代においては、なくてはならない作業なのです。





メディテーションと芸術実践。このふたつの柱をもつて、共にアントロポゾフィーを学びつつ生きて行く。そのための物理的な場を固定しない精神の共同の仕事場としての「アントロポゾフィーハウス」を設立いたします。


人は、何かとアイデンティファイすることによつて、そのアイデンティファイしたものから力をもらへることがあります。


誰かにとつて、「アントロポゾフィーハウス」が、その何かになることができれば、これほどありがたいことはありません。





令和3年(2021年)2月13日 諏訪耕志



posted by koji at 13:45 | 大阪 ☀ | Comment(0) | アントロポゾフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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