
わたしたちは、いま、西暦2021年に生きてゐます。
現代社会の中で現代的な暮らし方で生きてゐます。
ことばも、最新の文明に囲まれた暮らしの中でひたすら機能的に使はれ、大量の物と同じやうに、人と人との間に大量に流通してゐます。
さて、遥か昔においては、当然、暮らし方が違ふので、ことばに対する感覚、姿勢も随分と違つてゐました。
日本では、室町時代以前では、ことばを話すときには、ひたすらに、精確に、間違ひのないやうに話すこと、正しく話すことが重視されてゐました。ことばとそれを話す人の思ひ・考へとが、ひとつに重なつてゐることが、とても重要なことなのでした。ことば数は少なくても、ひとことひとことに論理性がありましたし、さらには、その人の思ひが籠もつてゐました。
ただ、だからこそ、と言つてもいいのかもしれませんが、西暦の紀元前500〜600年辺りから室町時代辺り(14〜15世紀)までに、ことばは、人が内側で思ひ、考へてゐることと重なつて来たが故に、ゆつくりとことばに生命が失はれて来ました。
「正しく話す」といふ価値観のもとに、言霊に満ち溢れてゐたことばの精神が、考へとひとつに重なるにつれて、ことばだけの独り立ちした美しさ、力強さ、賢さが失はれ、考への僕(しもべ)へと、いはば、その地位が転落してきたのです。つまり、だんだんと、考へを表すための道具になつて来ざるを得なかつたのです。
そして、戦国時代から江戸時代、明治、大正、昭和、平成と経て来て、いま。
考へ同様、ことばも、その「正しさ」さへ担保されなくなり、一体、人の何を信じればいいのか、日本だけでなく世界中の人が、大きな岐路に立つてゐる。さう、わたしは実感してゐます。
いまといふ、このとき、わたしたちは、本当に、立ち止まつて、人とことばの関係を深く捉へ直し、見つめ直し、教育を新しく始めなければならない、と念ひます。
さて、わたしが携わつてゐることばの芸術「言語造形」。
それは実は、西暦紀元前500〜600年よりも、さらに古い時代、アフリカのエジプトに文明が榮へてゐた頃、日本では、おそらくですが、大和朝廷がその初代天皇、神武天皇によつて一文明国となり始めてゐた日本のはじまりの頃、ことばを「美しく話す」ことに重点が置かれ、信仰が持たれてゐた頃の名残・反映だと思つてゐます。
ことばを美しく話す。
それは、今から三千年、四千年以上昔、遥か古代の実際的な営みでもあつた、言語の精神、言霊への信仰の中心的テーマでありました。それは、礼拝、祭といふ営みと不可分のものでありました。言辞・文学といふものも、それは、詩人に降りて来た神を祭る営みでした。
ことばは、考へから独立して、ことばそのものとして、空を風に乗つて響き渡る、生きた作用力でした。ひとつひとつの音韻のかたち、動き、響きの高低、長短、強弱などが、明瞭にものを言ひ、音楽のやうに美しく話すことが目指されてゐたのでした。
その当時のことばの使はれ方が、いまも、礼拝のときや、祝詞やお経が誦される時に、感じられます。
言語造形といふ20世紀の中部ヨーロッパから生まれた芸術は、きつと、そのころの営みの再現・甦りです。
しかも、全く新しく、意識された人の営みとして、意識された、神への供御として、なされて行く、新しい芸術です。
それは、おほよそ四千年前の宗教的営みの生まれ変はりとして、いま、芸術として、この世に息づかうとしてゐる「をとめ」のやうな存在です。
なんだか、大風呂敷を広げたやうなお話になつてしまひましたが、述べさせていただいたことを、〈考へ〉としてよりも、むしろ「感覚」で掴んでをられる方が増えて来てゐるやうに思ふのです。
ことばを聴くこと、そして、話すこと。
そのことを練習し、稽古することによつて、「感覚」「みること」と、「これは何だらうか」と「考へること」を重ねて行くことができます。
さうして、わたしたちは、新しい息吹を言語に吹き込んで行きつつ、「美しく話すこと」「正しく話すこと」を踏まえた上で、意識的に新しい時代のテーマを探ることをこころざしてゐます。
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