2021年01月11日

冬、考へを育む季節


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平櫛田中「平安老母」 何を読んでをられるのか・・・。




ひとつの考へは、人のこころにしつかりと宿れば、その人にとつてやがて成長して行くひとつの種になりえます。


種は、情報として本に書かれたままであつたり、インターネットの空間で行き交つてゐるだけでは、死んだものとして人々の間を忙しく交換・消費・廃棄されるだけです。


しかし、その考へといふ種をこころの内側にみづから宿すやうに受け入れ、お日様の光を当て、水分を補給してあげるやうに、何度も何度も繰り返し、その考へを、改めて、引き続き、考へ続けることによつて、その種は命を持ち始め、こころの内において芽を出し、葉を茂らせ、やがて、きつと、花咲かせ、稔りを得ます。


考へとは、一旦、死んでしまつてゐて、仮死状態にあるのですが、人が積極的にそれを自分自身の内側で育てますと、見事に息を吹き返し、その人に稔りを与へるのです。


そして考へは生き物として、その人の人生を前後左右に導いていきます。


ですので、どのやうな考へを胸の内に抱くのかが、とても大切なことなのです。それは、良き考へであれ、悪しき考へであれ、胸の内で生き物となつて、その人の生を導いて行くのですから。


それほどに、「考へ」といふものは、素晴らしいものでもあり、恐ろしいものでもあります。


その考へが、良きものか、悪しきものか、その判断はどうしてつけることができるのでせうか。


良き考へは、それを抱いたときに、こころが、胸の内が、広々と、明るく、暖かく、時に柔らかく、時に強く、開かれたやうな情をその人に与へませんか。


悪しき考へは、こころに固さと冷たさと狭さと暗さをもたらすでせう?


さう、情が、教へてくれますね。


情が教へてくれるためには、その情が健やかに育てられてゐなければならないでせう。


情を育てるのは、何でせう。


ひとつは、循環したものの言ひ方になつてしまひますが、よき考へを日々抱く練習をすること。それは、考へることの練習です。メディテーション、瞑想です。


まうひとつは、何か同じ行為をすることを繰り返すこと。それは、芸術的行為です。それは、意欲の練習、欲することの鍛錬です。


考へるの練習と、欲するの鍛錬とが、感じるの健やかな成長へと稔つてゆきます。


かうして、人のこころの育みとは、考へること、感じること、欲すること、それら三つの働きにみづから働きかけることであり、とりわけ、冬の季節においては、考へることの練習を始めるのに、適してゐるのです。


年の初めには、良き考へを抱き、その考へを考へつづけることによつて、種から芽へ、目から葉へ、葉から花へ、とこころに大切なものを時間をかけて稔らせて行く。


その習慣がこころを精神へと導きます。


その精神が、その人を、ますます、その人にして行くでせう。


その精神の育ちが、手取り足取り人から教へられなくても、自分自身の足で自分自身の道を、その都度その都度あやまたず選び取れるやうになることでせう。



アントロポゾフィーと言語造形「ことばの家」
https://www.youtube.com/user/suwachimaru/videos


posted by koji at 17:34 | 大阪 ☁ | Comment(0) | アントロポゾフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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