2021年01月08日

美の後ろに通ふ愛


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ここ数年、わたしの言語造形の活動にクラリネット吹奏でお手伝ひ頂いてゐる、小西 収さんと昨年の暮れ、いろいろと話しをするために箕面に赴きました。


箕面は山がすぐ近くにあり、清々しい空気にいつも包まれてゐる街で、阪急電車に乗つて行くのがいつも楽しみな場所でもあります。


その時も、話してゐて興趣尽きることなく、午後の陽もあつといふ間に落ちて行つてしまつたのですが、彼が話してくれた様々なことがらのひとつに、御自身の音楽活動「トリカード・ムジーカ(音楽の編み物)」での指揮活動についての話がありました。


ご自身の音楽活動が、どこか柳宗悦の「民藝運動」と重なりはしないか、と思ひ続けてゐるがゆゑに、その活動を「楽藝」と名付けてゐるのです、といふ話をしてくれました。


その時も、話は深まつてゆきました。


指揮者は当然、肉体を持つて指揮をします。


けれども、さうでありながらも、まるで、そのからだが透明になつてゆくかのやうに、こころと精神の存在となることを強烈に意識し、実現すること。指揮者が音楽の精神そのものとなること。


そして、楽団員は、無意識的にせよ意識的にせよ、精神に沿つて演奏をすることへと導かれて行く。


そのあり方は、柳の言ふ、工人たちのひたすらな繰り返しの作業を導いていくのが「仏」であり「神」である、といふことと、一脈通じてゐるのではないか。


連続・持続された人の意欲・技量の熟練からこそ美は生まれいづる、そのことへの信仰、その信仰の対象を「仏」「神」などといふことばで言ひ換へ、柳は何度も何度もその美の秘儀の次第について書き綴つてゐます。


その時、工人たちは、「わたくし」の小賢しい意図から自由になり、仕事の連続から立ち現れて来る「仏」「神」に導かれて制作を進める。


さういふ「民藝」における精神のありやうと軌を一にして、小西さんは、ご自身と楽団員たちが共に、音楽の「仏」「神」に導かれるやうな自由な(!)美しい精神のあり方を夢見てをられる。


そして、小西さんは、何かどこか遠くを目指すやうなものではなく、その場その場の人と人との集ひそのものをたいせつにしたい、さう語つてくれました。(大雑把な言ひ方でゴメンナサイ、小西さん😓)


わたしは、様々な刺激と気づき・目覚めをもらつたのです。


小西さんが昨年の六月に書いたブログの記事『柳宗悦「工藝の道」』に、柳の素晴らしい文章の抜粋が書き取られてゐます。最後に、その中から、ふたつの文節をここに載せさせてもらひます。


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「多」と離れることによって「孤」を守るべきではなく、「孤」を「多」の中に活かさねばならぬ。
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美しい工藝には、いつも協団的美が潜む。離叛と憎悪との社会から、美が現れる機縁はない。美の背後には何らかの意味で愛の血が通う。神への愛、人への愛、自然への愛、正義への愛、仕事への愛、物への愛、かかるものを抹殺して美の獲得はない。
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※写真は、ここ十年ほど、わたしが毎日こよなく愛用してゐる「出西窯」のマグカップ。「出西窯」は島根県出雲市にて、民藝運動の精神を受け継ぎ、70年以上、日々、暮らしの器を作り続けてゐます。掌に包む時の独特の暖かさ、唇に触れる時の人懐こい懐かしさ。このマグカップのお蔭でわたしは、毎朝、ほのかに、しかし確かに、幸せを感じてゐます。




アントロポゾフィーと言語造形「ことばの家」
https://www.youtube.com/user/suwachimaru/videos


posted by koji at 16:51 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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