2020年12月27日

2020年 立ち止まるといふこと



「ロックダウン」などといふ政策は、世の冷凍化、硬直化、そして分断を促したい悪の力によるものであり、そもそも、このウイルス「禍」は、その悪の力からの攻撃だとわたしは視てゐます。悪は実在してゐます。


しかし、さういつた悪の思惑が、逆に善を目覚めさせる可能性があるのですね。


今年、令和二年、2020年は、生活がこれまで通りにできなくなつた一年でした。

しかし、さうなることによつて、からだもこころも立ち止まらざるをえない。からだとこころが忙しく動き回ることをやめた時こそ、精神が登場する。精神の目覚めが生まれる。


それは、悪が目論んだことがいつも裏目に出ることの、ひとつの証左です。


からだとこころが立ち止まらざるをえなくなる時、それまで抱いてゐたこころの奥底にあつたもの、隠してゐたものが表側へと噴出してくる。恐怖に駆られる人もゐるでせうし、腹が座る人もゐるでせう。自死せざるをえなくなる人も出てくるでせう。


この精神の目覚めへの促しは、今年、全世界的に、強制的に、起こつたことですので、これは、まさに、人によつては天恵にもなりえるし、この上ない災難にもなりうるのです。


そんな中でも、いや、そんな中だからこそ、人が求めてゐる本当のものは何だらう、と問はざるをえないのです。


こころの強さ、ではないだらうか、とわたしは、いま、考へてゐます。こころの強さからこそ、生命の健やかさ、社会の健やかさ、健康が得られるのだから。


こころの強さとは、どんなことがあつても柔軟に精神(靈・ひ)に向かふ力ではないでせうか。それは、時に、からだを超える力です。それは、大変厳しい力です。しかし、精神(靈・ひ)こそが、生きていく意味と希望と意欲をもたらすものだとわたしは思ふ。


弱さを認めること(神が与へた人類普遍の女性性)と、強さを育むこと(神が与へた人類普遍の男性性)は、どちらも大切なことです。しかし、こころの強さを育むこと、生きることの意味を己れの内側で育てて行くことができること、精神(靈・ひ)に向かふことができること、それは、人類の文明を支える大きな礎です。


いま、文明が危機に瀕してゐることを明確に意識してゐる人は、少数かもしれません。しかし、その危機を乗り越えることがなされなければならないと考へ、ひとりひとりが何らかの仕事を意識的にして行けばこそ、若い世代へと何かが伝はります。


少なくとも、「若い世代の方が目覚めてゐる」などと、大人が言つてはならないと思ひます。大人ならば、先に深く明らかに目覚めてゐなければならないと、わたしは信じるのです。


令和二年・2020年、わたしはしつかりと立ち止まることができただらうか。そして、新しく目覚めることができただらうか。


さう言へば、今年読んだ文学は比較的、長編ものが多く、いずれも、世から押し寄せてくる困難や不条理を前にして、逃げ惑はずに立ち止まり、立ち向かひ、死生の境を超えて、精神(靈・ひ)の道を切り開いて行つた人の物語であり、評伝でありました。自分たちの時代ならではの観点を標準にせずに、物凄い人・精神の人が存在したのだといふことを知ることのできる文学でした。


最初から最後まで声を出して読んだ『平家物語』、シェイクスピアの四大悲劇、ゲーテの『ファウスト』、ノヴァーリス全集、盲目に陥つた本居春庭(宣長の子息)の評伝『やちまた』、トーマス・マンの『魔の山』、サマセット・モームの『月と六ペンス』・・・。


立ち止まり、考へるといふこと、自分にとつて本当に大切なことは何かと問ふこと、自力で答えを探し求めること、待つこと、精神(靈・ひ)に目覚めること。


これらのこころの力は、この混乱期を通して培ふことのできる大切なこころの力ではないでせうか。


posted by koji at 17:35 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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