
子どもは歯が生へ変はりだし、小学校へと上がつてゆきますが、第ニ・七年期に入つていく子どもの成長にとつて本質的なことは、それまでの個と個の関係性を育むといふことから、だんだんと、個とそのほか多勢の大人たちや子どもたちとの関係を、いかに創つていくかといふことへと移り行きます。
地域の中には、様々な職種につき、様々な価値観で生きてゐる人々がゐます。それまでほとんど親にしか意識が向かつてゐなかつた子どもが、そのやうな人といふ人の彩りの豐かさにどんどん目が奪はれていくことでせう。
かつ、クラスといふ集団の中においても、いろんな子どもがゐます。
幼児期においては、子どもの中に生まれ出る意欲や意志は、まるごとむきだしの意欲や意志で、ある意味、原始的なものでした。
しかし、第二・七年期の子どもにおいては、だんだんと、その意欲が感情といふ衣を着つつ現れてきます。
そして、そのクラスの中で、様々な色の違ふ感情の衣を着た子どもたちに出会ふのです。その彩りの豐かさの中で子どもは実に多くのことを学びます。
ひとりひとりの子どもは、みんな、違ふ。みんな、それぞれ、色合ひが違ひ、向きが違ひ、もつて生まれてゐるものが違ふ。その違ひが、感情の表れの違ひとして際立つてきます。
ひとりひとりの違ひを尊重する、そして、そこから、ひとりひとりの尊嚴を見る、そんなこころの姿勢が教師によつてなされるのなら、どれほど大切なものが子どもたちの内側に流れ込んでいくでせう。 どれほど大切なものが子どもたちの内側から流れ出してくるでせう。
さういふ大人の下で、子どもは、自分といふ個にゆつくりと目覺め始め、そして、クラスメートや先生、地域の様々な人々の中にある個といふ個に、だんだんと目覺め、その彩りの豐かさに目覺めていきます。
社会といふ集まりの中で、自分といふ個と、多勢の他者との関係を、だんだんと見いだしていく、一対多の関係の本來的な豐かさを、第二・七年期の子どもたちは学んでいくことができます。
もし、そこで、「よい点数を取ることが、よい人になる道です」 もしくは、「よい点数を取ることで、あなたは他の人に拔きん出ることができますよ」といふひといろの価値観がまかり通るのなら、子どもの内側から生まれ出ようとする、その子固有の意欲や意志が削ぎ落とされ、感情が傷つけられ、萎えていくことにもつながりかねません。小学校において、はや、灰色ひといろの服をみんなで着てゐるやうなものです。
ひとりひとりの子どもたちは、本来、各々、別々の色を持つてゐます。
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