先日、青森県十和田市での言語造形公演『やさしい世界の終はり方』、終演いたしました。
七つの詩と物語、それぞれに、お客様の皆様は、思ふところ、感じるところを持たれたやうです。
ご来場下さつた皆様、どうもありがたうございました。
山本恵美さんによる素晴らしいピアノの演奏、短い時間の中で、本当に精一杯、この作品に寄り添ひ、格闘して下さいました。その心意気が本当にありがたいですし、演奏そのものの抒情的な真実が際立つてゐました。
そして、Mikameさんによる絶妙に効果的、芸術的な照明、受付や司会などを荷つて下さつた「シュタイナーに学ぶAOIもり」の皆さんに、こころから、こころから、感謝します。ありがたうございました。
演者が自身の芸術を語ることは、やはり野暮なことだと思ひます。ただ、それなりの経験から、己れがなしてゐることへの聴覚、精確に言ふなら「ことばの感官」がおのづと教へてくれてゐることもあります。少なくとも、自分自身の内、こころと精神において、確かに起こつた出来事として、記述しておきたいと思ひます。
これまでの大阪、京都の公演では踏み込み不足であつた小林秀雄の「人形」において、今回の青森での言語造形公演では、より丁寧に細やかに扱はれた音韻のひとつひとつが、これまでにない深みを湛えた表情を精神の流れの中から引き上げて見せてくれました。この作品は、幾重もの細やかな情の衣を纏つてゐます。そしてその内に静かだけれども響き続けてゐる「もののあはれ」。日本人こそがとりわけ感覚できるものを、小林は薄い墨でさつと描いてゐるのですが、そこに籠められてゐる悲しみとユーモアが、このたび、わたしには澄み渡つて聴こえてきました。
そして、後半最後の作品、石村利勝氏作の「やさしい世界の終はり方」においては、地球の重力から自由になり、唯物的な感官のありかたから飛翔し、こころが精神の境へと一気に昇りゆき、ひとつになる、そんな時空間が生まれたのを確かに感覚しました。絶妙な照明の効果もあるのですが、まさに精神の顕現として、そのとき、演者のフィジカルなからだは発光してゐます。そこに生じた光と影は、肉の目で見るのではありません。
ことばの芸術が湛える、その感覚を持つことができる人は、まだ少数かもしれません。言語造形やオイリュトミーを何年も習つてゐる人でも、その人のこころの使ひ方が唯物的な知性に傾いてゐるほどにこの感官を啓くことは難しいやうです。精神の調べが聴こえないし、精神の動きが見えないのです。
しかし、中学二年生の女の子が終演後駆け寄つて来て、様々なことばを使ひながら、純粋な瞳で、「やさしい世界の終はり方」への感動をわたしに伝へてくれました。
このことは、何を意味するのでせう。
とにかくも、青森といふこの場所で、ひとりの純粋な精神の聴き手に出会へ、わたしは仕合はせでした。
かさねがさねになりますが、ルドルフ・シュタイナーが20世紀初頭に希んだこのやうな芸術のための場を、21世紀初頭の日本の青森の地に設へて下さつた皆さんに、こころからの感謝を述べさせていただきます。本当に、ありがたうございました。
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