
先日、ある人と話しをしてゐるうちに、どんどんこちらのこころが晴れやかに、健やかになつて行くのを感じたのです。
その時、確かにわたしが持つたのは、精神から発せられることばと声を聴いてゐるといふ感覚でした。
ルサンチマン・恨みつらみからではなく、精神から発せられてゐるならば、たとへ、その発言が怒りから発せられてゐるとしても、その声とことばは、聴いてゐる人の深みに健やかに働きかける。
そのことをとても強く感じて、嬉しかつた。
発言のひとつひとつ、書くことのひとことひとことに、精神からの何かがあるのかないのか。
わたし自身、顧みることを常にしたいし、だんだんとリアルタイムで感じられるやうになりたい。
さう思ひます。
では、精神とは、何か。
それに対する答へではなく、その問ひそのもののリアリティーを見失はないことがたいせつなことであるとも感じられます。