2020年11月05日

文学の徳用(さきはひ)



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芸術、特に文学には親しんでおいた方がいいと思ふのです。


文学は、人といふものの複雑さ、怪奇さ、異常さ、怪しさ、崇高さ、美しさ、愛らしさ、駄目さ、情けなさ・・・といふやうなありとあらゆる人の内なるものを感じ、知ることのできるものだからです。


例へば、何かに対して極端に感情的な嫌悪を表す人は、その何かに対する羨望を密かに隠し持つてゐることなど。怪奇なことです。


具体的に挙げると、権力といふものに対して嫌悪を抱く人の内側には、密かに、権力を持つことへの欲望が隠れ潜んでゐたり、政治家の腐敗や芸能人のスキャンダルなどをやたらとバッシングする人の内側には、自分自身もできるならそのやうな酒池肉林の体験をしてみたいといふ隠れた欲望を持つてゐたり・・・。


そのやうに、自分自身が「正義」であることを振り回すことが、実は、無意識のジェラシー・嫉妬、そして恐怖からの振る舞ひであること、この社会では結構ありますよね。


「権力」といふものに対する欲望が自分自身の内にもあることや、自分自身も決して清廉潔白であり続けることなどできないことを認めることができてゐたり、または、人の世には「権力」といふものも必要な時と場があることをしつかりと認めることができてゐる人は、「権力」や「腐敗」に対してさほど感情的にもならないでせう。


そのやうな人の内をみて、自分自身を顧みる練習をするのには、文学がうつてつけです☺️


もちろん、文学、芸術には、人の崇高さ、偉大さ、美しさを描くといふ中心課題があるからこそ、それを精神の糧として取り込むことなしに、人は人として生きて行くことができないのです。


この二週間は、漱石の『行人』、三島由紀夫の『仮面の告白』、又吉直樹の『劇場』にどつぷりと浸かつてゐました。




posted by koji at 15:48 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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