
ことば、といふものは、
人の世界観を形作るものです。
人はこの世に生まれて来て、
教育を受けなければ、
桜が美しいと感じるやうにはできてゐない。
さくら花 ちりぬる風の なごりには
水なきそらに 浪ぞたちける 紀貫之
このやうな、
先人によることばの美に触れるからこそ、
桜、ことにその散りゆく様に、
もののあはれを、美を、
感じるやうに人は教育されうるのです。
ことば、とは、そもそも、
美を伝へるものであります。
それゆゑ、情を育むものであります。
そして、「人の情(こころ)を知る」べく、
「もののあはれを知る」べく、
和歌が歌はれ、
ことばからことばへと文が編まれます。
「もののあはれを知る」
これこそが源氏物語の肝だと、
本居宣長は喝破しました。
王朝における精神生活の深まり。
それは、研ぎ澄まされたみづからの感覚を、
どうことばで言ひ定めることができるのか、
不定なこころの揺れ動きを、
どうことばに鋳直すことができるのか、
といふ現代人にも通ずる、
人生とことばの渡り合ひそのものです。
一千年以上前の王朝の人々、
とりわけ女性たちが、
その渡り合ひの深化を促しました。
文化の種を蒔くのは男性性かもしれませんが、
文化を文化として見いだし、
担保し、育むのは女性性ではないでせうか。
そのやうなひとりの人の内なる渡り合ひが、
また、男と女のひめやかな渡り合ひが、
王朝において日本精神文化の基盤を創り上げました。
日本人の育んできた世界観、
それは主にことばの美から、
創り上げられて来たのです。
ことば一語一語の用ゐ方、運用の仕方に、
ひとりの人のこころのすべてが賭けられてゐる。
そのやうな働きをする詩人たちの精神が、
過去にも現在にもあるからこそ、
ありきたりな言語生活を営んでしまひがちな、
わたしたち凡夫に、
目覚めを促してくれます。
「汝みづからを知れ」といふ目覚めを、です。
言語造形をするわたしは、
その目覚めへと人を促す詩人たちのことばを、
生き物として、声として、
空間に響かせることへと挑戦します。
詩人が意を注いだ、
一語一語、一音一音に耳を澄ませながら、
淀みない息の流れの中にことばを解き放つ。
さうして、あたらしい世界が、
ことばの響き、余韻から、生まれる。
そんな文化の誕生を、
いつも思つてゐます。
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