
公演が迫つて来てゐるので、
当然、毎日、稽古を重ねてゐるのですが、
この稽古をするといふことそのことが、
わたしにとつては、
本当に「確かな手応へ」を与へてくれるのです。
生きてゐることの、いや、
生かされてあることの「確かな手応へ」です。
人にも会はず、繰り返し繰り返し、練習する。
これがとても充実した作業なのです。
ありがたい・・・。
音と音の境目である間(ま)の深みと拡がり、
そこに走る活き活きとした精神の躍動。
余計なことを考へずに、
それらのものを追つてゐると時間を忘れてしまふ。
とても地味な作業だけれども、
確かなものと出逢つてゐる感覚に、
内から満たされる。
お金にはならないけれども、
かうした「行為」そのもの、
「すること」そのことが、
人に健やかさをもたらすんですね〜。
「生きるといふことへの健やかな情」
「確かな手応へをもつて毎日を生きる」
これがあれば、
わたしは何とか生きていくことができる(笑)。
この先どんなことがあるか、どんなことになるか、
誰も予想がつかない。
自分の人生がどんな風に転がつて行くのか、
本当にわからない!
けれども、
先ほど書いた、
「生きるといふことへの健やかな情」
「確かな手応へをもつて毎日を生きる」
といふ生きるための内的な元手は、
「健やかに、まぎれなく、考へる」といふ、
さらなる内の営みから生まれてくるものなんだ、
といふことが年齢を重ねるごとに、
「まこと」のこととして胸に迫るのです。
「考へる」。
ごちゃごちゃと余計なことを
なるべく考へないやうにしてゐます。
もし、考へるなら、
健やかな情と確かな意欲(手応へ)を産み出すやうに、
「考へる」。
それが、自己教育の要(かなめ)かなと思ひます。
いろいろな感情や欲望が
ありありと内側に渦巻くのですが、
すべて認めて、ゆるす。
そして内なる作業として解き放つ。
さうして、毎日、この、
「考へる」向きを、
先ほど書いた方向へもつて行く。
折角何かを「考へる」なら、
健やかさに向けて。
そして、毎日稽古して、
確かな手応へを稼ぎつつ。
わたしもあと二か月ほどで、
五十六歳になるのですが、
自由になりゆくための、
九つ目の新しい七年期が始まると感じてゐます。
自分自身が自由になりゆかないと、
周りの人も自由になれませんものね。
「考へる」をそっちの方向にもつて行くための、
環境づくりはとても大切なことで、
そのことも始めようと考へてゐます。
オンラインで始められるだらうかと思案中です。
また、ご関心のおありになる方は、
どうぞご連絡くださいね〜。
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