2020年10月05日

これが自己教育の要かと・・・



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公演が迫つて来てゐるので、
当然、毎日、稽古を重ねてゐるのですが、
この稽古をするといふことそのことが、
わたしにとつては、
本当に「確かな手応へ」を与へてくれるのです。
生きてゐることの、いや、
生かされてあることの「確かな手応へ」です。


人にも会はず、繰り返し繰り返し、練習する。
これがとても充実した作業なのです。
ありがたい・・・。


音と音の境目である間(ま)の深みと拡がり、
そこに走る活き活きとした精神の躍動。
余計なことを考へずに、
それらのものを追つてゐると時間を忘れてしまふ。
とても地味な作業だけれども、
確かなものと出逢つてゐる感覚に、
内から満たされる。


お金にはならないけれども、
かうした「行為」そのもの、
「すること」そのことが、
人に健やかさをもたらすんですね〜。


「生きるといふことへの健やかな情」
「確かな手応へをもつて毎日を生きる」


これがあれば、
わたしは何とか生きていくことができる(笑)。


この先どんなことがあるか、どんなことになるか、
誰も予想がつかない。
自分の人生がどんな風に転がつて行くのか、
本当にわからない!


けれども、
先ほど書いた、
「生きるといふことへの健やかな情」
「確かな手応へをもつて毎日を生きる」
といふ生きるための内的な元手は、
「健やかに、まぎれなく、考へる」といふ、
さらなる内の営みから生まれてくるものなんだ、
といふことが年齢を重ねるごとに、
「まこと」のこととして胸に迫るのです。


「考へる」。


ごちゃごちゃと余計なことを
なるべく考へないやうにしてゐます。


もし、考へるなら、
健やかな情と確かな意欲(手応へ)を産み出すやうに、
「考へる」。


それが、自己教育の要(かなめ)かなと思ひます。


いろいろな感情や欲望が
ありありと内側に渦巻くのですが、
すべて認めて、ゆるす。
そして内なる作業として解き放つ。


さうして、毎日、この、
「考へる」向きを、
先ほど書いた方向へもつて行く。


折角何かを「考へる」なら、
健やかさに向けて。
そして、毎日稽古して、
確かな手応へを稼ぎつつ。


わたしもあと二か月ほどで、
五十六歳になるのですが、
自由になりゆくための、
九つ目の新しい七年期が始まると感じてゐます。


自分自身が自由になりゆかないと、
周りの人も自由になれませんものね。


「考へる」をそっちの方向にもつて行くための、
環境づくりはとても大切なことで、
そのことも始めようと考へてゐます。


オンラインで始められるだらうかと思案中です。


また、ご関心のおありになる方は、
どうぞご連絡くださいね〜。






posted by koji at 10:14 | 大阪 ☁ | Comment(0) | アントロポゾフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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