2020年09月30日

こころのこよみ(第26週) 〜ミヒャエル祭の調べ〜



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ラファエロ「大天使ミヒャエルと竜」



自然、その母なるありやう、
 
わたしは、それを、意欲において担ふ。
 
そして、わたしの意欲の火の力、
 
それが、わたしの精神の萌しのかずかずを鍛へる。
 
その萌しのかずかずが、みづからの情を生む、
 
わたしをわたしにおいて担ふべく。   
 
  
 
Natur, dein mütterliches Sein,
Ich trage es in meinem Willenswesen;      
Und meines Willens Feuermacht,         
Sie stählet meines Geistes Triebe,         
Daß sie gebären Selbstgefühl           
Zu tragen mich in mir.             
 
 
 
 
先週の『こころのこよみ』で、
「内なるこころの光と熱。
 これほど、頼りになるものがあるだらうか。」
と書いた。
 

この頼りになるものを、
わたしたちひとりひとりの人に
もたらさうとしてくれてゐる精神存在がゐる。
さうシュタイナーは語つてゐる。
 

大いなる精神存在、ミヒャエル。
 

この存在は、どのやうにして、この時期に、
わたしたちのこころとからだに
働きかけて下さつてゐるのだらうか。
 

今週の『こよみ』を読んでみる。
口ずさんでみる。
 

息遣ひも活き活きと、
声を解き放ちながら唱へてみる。
何度もこころとからだで味わつてみる。
意欲をもつて、ことばとつきあつてみる。
 

さうすると、普段以上の意欲をもつてしなければ、
何も感じられないことに気づく。
 

そして、積極的にことばを唱へるほどに、
こころへと立ち上つてくる意欲といふ熱があればこそ、
我がこころとからだが活き活きとしてくるのを感じる。
 

我がからだもこころも、
「自然」の内のひとつである。


その熱をもつてこそ、
最も近く親しい「自然」を担つてゐると感じることができる。
 

意欲とは、わたしのからだへと、こころへと、
下から、足元から、立ち上がつてくる熱である。
それは熱心さであり、こころざしの顕れである。
 

その「意欲の火の力」があつてこそ、
その火を、わたしが、燃やすからこそ、
わたしのからだとこころに、
上から、天から、降り注いでくる
「考へ・想ひ・こころざし・精神の萌しのかずかず」
である光がだんだんと暖められ、鍛へられる。
 

わたしたちは、この時期、
上からの光(考へ)と、
下からの熱(意欲)とを、
織りなしあわせる。
その織りなしあいが、
こころに「みづからの情」を生む。
 

その情とは、
「わたしは、わたしだ」「わたしは、ひとりだ」といふ
こころの真ん中に生まれる情だ。
その情をもつて、
わたしといふ「ひとりの人」は活き活きと甦つてくる。
恐れや不安や物思ひなどを凌いで、
「ひとりの人」としてこの世に立ち、
目の前にあることにこころから向かつていくことができる。
光としての考へが、
こころを暖め熱くするものへと練られ、
実行可能なものへと鍛へられていく。
 
 
 
 
そのやうに、自分のこころとからだで、
『こころのこよみ』のことばをひとつひとつ味はつていくと、
シュタイナーが多くの著書や講演で語つた精神存在を、
リアルに親しく感じることができる通路が開かれていくし、
さうしていくことによつて、
実人生を安らかに確かに積極的に歩んでいくことができると実感する。
 
 
 
これからの秋から冬にかけて、
外なる闇と寒さがだんだんと深まつてくる。
そしてややもすれば、
闇と冷たさがこころにまで侵蝕してくる。
 

そんな時に、内なるこころの光と熱を、
ひとりひとりの人が
みづからの力で稼ぐことができるやうにと、
共に一生懸命働いて下さつてゐるのが、ミヒャエルだ。
 

一方、闇と寒さを人にもたらす者、
それがミヒャエルの当面の相手、アーリマンだ。
 

人を闇と寒さの中に封じ込めようとしてゐる
そのアーリマンの力の中に、
剣の力をもつて、鉄の力をもつて、切り込み、
光と熱を人のこころにもたらす助けを、秋から冬の間にし、
毎年毎年、ひとりひとりの人が、
キリスト・イエスが生まれるクリスマスを、
こころに清く備へ、整へるのを助けて下さるのが、
ミヒャエルだ。
 

シュタイナーは『こころのこよみ』を通して、
ことばの精神の力を四季の巡る世に打ち樹てようとした。
 

祝祭を、世における大いなる時のしるしとして、
ひとりひとりの人がみづからのこころにおいて
新しく意識的に創つていくことができるやうにと、
『こころのこよみ』を書いた。
 

キリスト者共同体司祭であつた
ミヒャエル・デーブス氏が語つたこととして、
以下のことばがある。


大天使ミヒャエルといふ大いなる方が、精神の世から、
すべてのイニシアティブを持つ人に力を贈り始めたのは、
1879年だつた。
その年、シュタイナーは18歳で、
「人における知ることの秘密(認識論)」に取り組み始めた。
そして、33年経た1912年に、
シュタイナーはアントロポゾフィー協会を立ち上げ、
この『こころのこよみ』を世に贈り出した。


33年といふ時間は、
イエスがこの世に
フィジカルなからだを持つて存在した時間であり、
その誕生から十字架の死を経て、
甦るまでに要した時間だ。


シュタイナーは語つたといふ。
「いま、起こつてゐることは、
 ひとつのクリスマスのありやうだ。
 これから33年後に、その甦りの祭り、
 復活祭がやつて来るだらう」と。
精神のことがらが、地上において成就するには、
その仕事が着手されてから33年かかるのだ。
(ミヒャエル・デーブス『魂の暦について』からの要約)


このシュタイナーによる『こころのこよみ』とは、
大天使ミヒャエルとの共同作業によるひとつの結実と言へるかもしれない。


『アントロポゾフィーのこころのこよみ』。


「こよみ」とは、
事(こと)をよむことであり、
言(ことば)をよむことであり、
心(こころ)をよむことである。
 

意識的に四季を生きること。
四季を『こころのこよみ』とともに生きること。
それは、地球をも含みこむ大いなる世(宇宙)と共に、
精神的に生きるといふ新しい生き方を、
わたしたちが摑む手立てになつてくれるだらう。
また、みづからの狭い枠を乗り越えて、
こころの安らかさと確かさと積極さを取り戻す
手立てにもなつてくれるだらう。
 
 
 
 
自然、その母なるありやう、
わたしは、それを、意欲において担ふ。
そして、わたしの意欲の火の力、
それが、わたしの精神の萌しのかずかずを鍛へる。
その萌しのかずかずが、みづからの情を生む、
わたしをわたしにおいて担ふべく。



posted by koji at 08:45 | 大阪 ☁ | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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