2020年09月20日

大阪弁で 〜母語の恵み〜



今日、講座を「ことばの家」でしてゐて、
このアントロポゾフィーなる精神科学を、
日本の文化の文脈で語り直すこと、
しつかりと日本語で語ること、
しつかりと自分自身のことばで語ること、
その大切さを話してゐて、
どうせならわたしの母語である大阪弁で語ることがよい、
なんてことになり、
さうしてみたら、
いやあ、驚きました。


大阪弁になつた途端に、
どれほどほつとした雰囲気が一気にその場に満ちたことか。


我が家である「ことばの家」においても、
稽古場であり、講義の場であり、
舞台でもあるこの場では、
わたしはこの部屋に入ると、
全く無意識に、おのづから、
標準語で仕事をしてゐました。


今日、おそらく初めて、
生徒さんの前で、
大阪弁で仕事をさせてもらへたのでした。


これは、思ひもかけぬことで、
わたし自身、いつも以上にとてもリラックスしながら、
仕事ができたのでした。


これも、講座を聴いてくれる方々がゐるからです。
その方々が新しいものを、
わたしから引き出してくれるのです。


いやあ、母語の恵み、それは、
人にこころから情の通ふことばを話させてくれるのですね。


仕事上、標準語を使ひながらも、
人それぞれの母語である方言は、
人それぞれ大切にした方がいいのですね。


ことばと自分自身との距離を改めて見つめる上で、
欠かせない二重性、豊かさを人にもたらすやうです。
これは、きつと、母国語と外国語との間でも、
多いに感じられることではないかと思ひます。




posted by koji at 19:25 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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