小池知事がああ言つてゐる、
吉村知事がかう言つてゐる、
安倍首相が言つてゐる、
また全く違ふことを言ふ人がゐる、
一体、誰が言つてゐることが本当のことなのか。
しかし、次のやうなことが言へると、
思はざるをえません。
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ドイツの建設大臣とフランスの大臣との立場に
どんな相違があるかとか、
どちらの論拠を正しいと思ふかとかは、
すべてたわごとです。
現代文明の進歩に関はるためには、
そんなことが大事なのではなく、
なぜ誰かが不正直な態度をとるのか、
なぜ別の誰かが別の不正直さを示してゐるかを、
よくしらべることがたいせつなのです。
わたしたちの時代は、
語ることばの内容に何の意味も見いだせず、
そこに支配してゐる力だけが意味をもつてゐます。
そのやうな時代にわたしたちは生きてゐます。
今日、
誰かがアントロポゾフィーを意識の中に取り入れて、
あちこちのアントロポゾフィーの集ひに
出かけたとします。
その人は、人間を見いださないでせう。
見いだすのは、閉ざされた、
ごく狭い場所を動き回つてゐるモグラたちばかりです。
彼らは狭苦しい場所の中で、考へてゐます。
そしてその考へをその範囲を越えて拡げようとしません。
その場所以外のところに関心を向けようとは、
全く思はないのです。
わたしたちがこのやうな、
モグラ的生き方を克服する可能性を見いだせず、
常に同じところで同じ判断を繰り返すだけなら、
そのやうにして、
19世紀から20世紀初頭の時代に呪縛されてゐるだけなら、
悲惨な状況から脱け出す仕事に加わることはできないでせう。
(ルドルフ・シュタイナー
1921年6月17日 シュテュットガルトにて)
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百年前の中部ヨーロッパにおける状況と、
いまのわたしたちの状況とが、
全く重なつて見えてしまひます。
アントロポゾフィーなどの精神的な学びの場に、
起こりがちなことも、
シュタイナー在世当時からしつかりと起こつてゐたのでした。
ここで語られてゐる「力」といふものは、
目には見えず、
多くの人といふ人の内側に巣食ひ、
隣近所の人、
そして、大衆を動かすのですね。
もちろん、
この自分自身をも動かさうと強烈に働きかけてきます。
しかし、わたしたちは、
この「力」といふものに引きずり廻されてゐる、
この悲惨な状態から、
きつと、脱け出すことができます。
電車の中で、
マスクをしてゐないわたしを
睨み付けてくる人がゐる中で、
かう考へます。
この百年の間に、
わたしたちひとりひとりは、
どこまで目覚めた意識を獲得できたか。
得体の知れない「力」に目を注ぎつつ、
健やかな意識を失はず、
朗らかに生きて行くための、
こころの力。
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