わたしは感じる、
まるで、世の輝きの中に、
精神が魔法にかけられて織り込まれてゐるやうだ。
それはぼんやりとした感官において、
わたしのわたしなりであるところを包む。
わたしに力を贈るべく、
その力を力無き己れに授けるのは、
囲ひの中にある、わたしの<わたし>。
Ich fühle wie verzaubert
Im Weltenschein des Geistes Weben.
Es hat in Sinnesdumpfheit
Gehüllt mein Eigenwesen,
Zu schenken mir die Kraft,
Die, ohnmächtig sich selbst zu geben,
Mein Ich in seinen Schranken ist.
子どもの頃や若者である頃と違つて、
わたしたちは歳をとるにしたがつて、
自分自身といふもの、
わたしの意識といふもの、
自意識といふものを、
大事にするやうになるので、
夏になると、それらが魔法にかかつたやうに包まれ、
力無く眠りこまされてゐるやうな感覚に陥り、
困惑してしまふ。
わたしのわたしたるところ、
わたしの<わたし>が、
囲ひの中にあるやうに感じてしまふのだ。
しかし、かうしたありようが、
この季節特有の、
かりそめのものだといふことを知つてゐるならば、
わたしたちは困惑から抜け出ることができる。
このぼんやりとしたありやう、
焦点が絞られてゐないありやう、
それは、大きく広がりをもつた意識であるからこそ、
そのやうなありやうであり、
この意識の大きさ、拡がりからこそ、
力が授けられようとしてゐる。
だから、ぼんやりとした感官のありやうを、
思ふ存分、生きればいい。
夏のこの季節、頭ではなく、手足を使ふことで、
大いなる世と繋がることに勤しむこと。
ある意味、子どものやうに生きること。
さうすることで、
ぼんやりとしたありやうであるかもしれないが、
人は大いなる世から力を授かる。
たとへ、いま、
その力の贈り手であるわたしの<わたし>が、
魔法にかけられ、囲ひの中にあるとしても、
そのやうに手足をもつて生きることが、
来たる秋から冬に向けての備へとなる。
わたしの<わたし>が力に満ちたものになりゆく、
来たる秋から冬へと。
わたしは感じる、
まるで、世の輝きの中に、
精神が魔法にかけられて織り込まれてゐるやうだ。
それはぼんやりとした感官において、
わたしのわたしなりであるところを包む。
わたしに力を贈るべく、
その力を力無き己れに授けるのは、
囲ひの中にある、わたしの<わたし>。
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