書くわたし自身が、
こころの練習をすることができることもあつて、
拙くもかうした読書ノートをつけてゐます。
また、ことばの仕事をしてゐるからか、
このノートを読んで下さる方と、
読書による言語芸術の魅力の味はひを、
少しでも分かち合ふことができたら、
といふ身の上知らずの希ひがあります。
トーマス・マンの『魔の山』を読み終へました。
マンは、
この作品を十二年といふ長い歳月をかけて書きました。
わたしは、ゆつくりと読みました。
それなりの時をかさね、
この作品の精神に沿はうとこころみ、
主人公の青年ハンス・カストルプと共に、
本の中に続くこころのあぜみちを、
わたしも歩いたのでした。
(みちの両側には、
次々に色合ひの異なる様々な人物が登場し、
それぞれの色合ひの作物を、
豊かにも、貧しくも、稔らせてゐるのでした)
そのみちは、たいがいはぬかるんでゐましたが、
そのぬかるみをまどろこしく感じた時もあれば、
その土壌の柔らかさ・温かさに、
こころの落ち着きと、
このみちを歩いてゆくことに間違ひはないといふ、
確かさとリアリティをも感じたのでした。
わたしも長い時をかけて読んだためかもしれません、
最後の頁に辿り着いたとき、
肚の底からこみ上げてくる嗚咽と、
深く暗い淵をのぞきこむこころもちに、
ずつと包まれてしまひました。
しかし、その時間が停止するときの手応へは、
わたしがずつと求め続けてゐるものでした。
文庫本、上下巻千五百頁にわたる作品であるゆゑ、
再読し尽す時間はもうないかもしれませんが、
この作品の精神が、
わたしの精神に響き続けることは確かに感じます。
その精神とは何でせう。
主人公を通して、
人の三つの機能が、
長い、長いときをかけて溶け合ふことの奇跡です。
見る。考へる。そして、身を捧げる。
この三つの機能です。
長いときをかけて、
その三つの機能を溶け合はせた果てに、
人は花を一輪咲かせて、
この世を去ります。
千五百頁の最後に至つて、
人といふものの、その美しさを語り切る。
それが、この作品の精神だと感じたのです。
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