
Caspar David Friedrich「Frau in der Morgensonne」
言語造形のクラスをさせてもらふ仕事も、
だんだんと新しく生まれて来ました。
この仕事を始めたのが、
二十年ほど前なのですが、
いま、その時に戻つたやうな、
いや、むしろ、
全くのゼロから始める、
デビューしたてのやうな気持ちが
溢れて来る日々なのです。
この感慨は、
このたびのウイルス騒ぎによる社会の停滞が、
わたしにもたらした「恩恵」です。
「初心に帰る」といふことは、まさに、
「死ね。そしてふたたび生きよ」
といふほどの起死回生のことなのですね。
言語造形といふ芸術の仕事を再び始めて、
いまとりわけ感じてゐることは、
冷たく、狭い世界に閉じ込められてゐる人が、
いまはまだどれほど多くゐることだらう、
といふことです。
わたしの言語造形のクラスに来る方には、
教師をしてゐる方が多いのですが、
学校でのウイルス対策に、
報道での感染者数だけを挙げるそのあり方に、
そして、つまるところは、
死への恐怖に、
身もこころも雁字搦めになつてゐて、
こころとからだが冷たく、固く、閉じたありやうで、
毎日を生きてゐて、
そのありやうでクラスに来られるのです。
それでも何か月かぶりに、
このクラスに来られるといふことは、
やはりみづからがみづからを救済したい、
といふ無意識の念ひに動かされてのことなのでせう。
そして、クラスが終はる頃には、
来られた時とは、まるで、まるで、異なる、
湯上りのやうに紅潮した頬と、
輝きを取り戻したまなざしをもつて、
その人のその人たるところを
ありありと表に輝かせながら、
帰つて行かれます。
人の意識をなんらかの隠微な形で、
一色に覆ひ尽くさうとする、
いまのやうな状況の中で、
芸術といふものは、
やはり、人にとつて、
なくてはならないものです。
外側の状況がどのやうなものにならうとも、
それでも、わたしは生きて行く、
生き抜いて行くのだ、といふ、
意欲と希望を取り戻すことが促されるからです。
その意欲と希望は、
精神との通ひ路(みち)が運んで来てくれます。
人は、精神との通ひ路がこころにできた時、
ふたたび、自由になります。
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