2020年06月19日

若い人に向けて 〜たとへば、東京と大阪〜



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七年間通つた、新宿牛込柳町にある銭湯「柳湯」
 
 

随分以前に書いた文章で、自分自身のことを振り返りながら、人生の中の発意・自主性・イニシアティブの重要性について書いたものです。長文ですが、ご勘弁を。
 
 
 
――――――
 

 
わたし自身のことから書き始めるのですが、シュタイナーといふ人を初めて知り、アントロポゾフィーの本を読み出したのは、二十八歳のときでした。まづは、子どもへの教育についての本を読み始めたのですが、そこに書かれてある教育観、人間観、世界観、宇宙観を貫いてゐるまぎれもない精神からの観点にこころを鷲づかみにされました。更に、言語造形といふ芸術に出会ひ、自分の仕事は、この言語造形とアントロポゾフィーを生きることそのことだと、出会つてすぐに感じ、それまでの仕事をやめて、それから約七年間、言語造形とアントロポゾフィーを学ぶために、毎日アルバイトをしながら、東京に住んでゐました。
 
 
東京といふところは、学びの機会だけに限らず、観るもの、聴くものが、世界中からと言つてもいいくらゐ、豊かに供給されてゐますよね。わたしは、アントロポゾフィーと言語造形を通して、特に芸術に向けての関心と情熱が深まつていき、それに応へてくれるかのやうに、東京は質の高いものを豊かにわたしに与へてくれました。こちらがその気にさへなれば、そしてお金さへあれば、東京といふところはいくらでも享受と学びの機会を与へてくれました。わたしにとつては、東京の街そのものが、大学のやうでした。
 
 
そして三十五歳になつたときに、ふるさとの大阪に帰つてきました。そのとき、わたしがまづ感じたのは、芸術の享受、学びの享受といふ面に関しては、東京と比べると、その量においては、五分の一、いや、十分の一ぐらゐかもしれない、といふことでした。これはあくまでも、当時のわたしの個人的な感覚です。
 
 
しかし、ここでも、すぐに気がつきました。外側から得るものはさほど多くないかもしれない。けれども、自分が意味を見いだし、やつてみたいこと、やつていかうとしてゐることを、いま、ここから、自分から、始めてみることはできる。自分自身がたとへまだまだ未熟であつても、こころざしさへあれば、です。大阪といふところはそんな気風がある。そのことを肌で感じました。
 
 
それまで、東京でたつぷりと豊かで深い学びをさせてもらへたといふ実感があつたのですが、同時に、その外的な豊かさから必然的に生まれてしまふこころの受動性、そして何よりも、人を何かのレベルで判別しようとする強すぎる批判性・選別性を人との関係の中でどこか感じてゐました。それは、東京といふ大都会に生きる人がもつてしまはざるをえないものかもしれませんし、それよりも、きつと、わたし自身の中にあるこころのありやう(受動性と批判性)でもあります。ただ、大阪に帰つてきて、初めてはつきりと意識したのは、東京にゐたときのやうなありやうの中では、わたしは、わたしとして自立するのがとても難しかつた、といふことでした。外側から与へてもらえるものは、とても質の高いもので、量も豊かなのですが、それゆゑに、こころが受け身になりがちで、また、批判するこころの力が強すぎて、人と人とが警戒しあつてゐる、他者の目が常に気になる、「誰かのお墨付きをもらへないうちは、自分で何かを始めるなんてとんでもない」といふやうな雰囲気をわたしはどこか感じてゐました。
 
 
わたしが、アントロポゾフィーから、そしてシュタイナーといふ人から学んだもつとも大きなことは、「わたし」を育むこと、そのために何度失敗してもいいから、恐れずにトライしつづけること、さうすることによつてのみ、だんだんと「わたし」に対する信頼が自分の中に育つてくるといふことです。「わたし」に対する信頼こそが、生きていく上で、もつとも大きなもののひとつだといまも感じてゐます。
 
 
十九世紀後半から約三百年かけて、時代精神ミヒャエルが、わたしたちを見守り、支へ、応援してくれてゐると、シュタイナーは語り、そのミヒャエルとの結びつきをひとりひとりが真摯に受けとめながら生きていくことがどれほど大事なことかを、病床にいながらも書き続け、それが遺言のやうに『ミヒャエルの手紙』として、わたしたちに残されてゐます。
 
 
その『手紙』において、ミヒャエルの働きは様々な面で深められてゐるのですが、その基本的なことのひとつとして、時代精神ミヒャエルは、「わたし」に目覚めつつ、「わたし」を信頼しつつ、発意・イニシアティブをもつ人と結びつかうとします。
 
 
あくまでも、わたし個人が感じたことですが、東京における、豊かさと同時にもたざるをえなかつた恐れと不安。そして自分のふるさとである大阪に帰つてきて生まれたイニシアティブ。失敗を恐れず、他者の目を気にかけず、とにかく、やつてみよう、そして、やりつづけていかうとするイニシアティブ。だから、東京は住みにくい、ふるさとや大阪は住みやすいなどとは勿論一概に言へませんが、やはり、そこに、現代を生きることの難しさと希望を見るのです。場所の問題ではないのですが、場所は、人が、創つてきたものです。要(かなめ)は、これからの人の意識です。
 
 
目に見える外側の豊かさが本当の豊かさではないことに、人は、きつと、気づいていくでせう。これからはますます、人が各々の「わたし」をもつて、ためつすがめつ、ひとつひとつのものごとを消化し、深め、ものにしていくプロセスそのものが豊かさであること、そして、「わたし」に対する信頼を育んでいくことこそが豊かさであると感じとつていくでせう。
 
 
人が、「わたし」をもつて、ひとり立ちすること。そこをこそ、ミヒャエルは応援しようとしてゐます。そして、その応援をもらへるやうな環境を他者のため、自分のためにわたしたちはどのやうにして創つていくことができるでせうか。共に、考へ、各々実際に創つていきたいですね。
 
 
 

 


posted by koji at 21:53 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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