2020年06月07日

こころのこよみ(第9週) 〜大いなる父なるもの〜



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我が意欲のこだわりを忘れ、
 
夏を知らせる世の熱が、満ちる、
 
精神とこころのものとしてのわたしに。
 
光の中でわたしを失くすやうにと、
 
精神において観ることがわたしに求める。
 
そして強く、予感がわたしに知らせる、
 
「あなたを失ひなさい、あなたを見いだすために」
 
 
 
Vergessend meine Willenseigenheit,
Erfüllet Weltenwärme sommerkündend
Mir Geist und Seelenwesen;
Im Licht mich zu verlieren
Gebietet mir das Geistesschauen,
Und kraftvoll kündet Ahnung mir:
Verliere dich, um dich zu finden.  
 
 
 
「わたしは、
 これをしたい、
 あれをやりたい、
 これをしなければ、
 あれをしなければ・・・」
 
 
そのやうな意欲といふものも、
内なる「熱」と言つていいのだけれども、
その意欲の中にある
「こだわり」を忘れることができるだらうか。
「・・・しなければ」といふやうな
「恐れ」を忘れることができるだらうか。
 
 
朝、陽の光が輝き出すと、その熱が、
来たる夏を知らせてくれてゐるやうに感じる。
 
 
そして、「熱いなあ」と感じるだけにせずに、
ずつと、その熱に問ひかけるやうにしてゐると、
その陽の光から発せられてゐる熱は、
自分が抱いてゐる意欲の熱よりも、
はるかに、はるかに、巨大で、
太陽の意欲は、わたしの意欲よりも、
はるかに、はるかに、
強く、深く、遠くを見通してゐるかのやうな
豊かさであると感じる。
 
 
そのやうな意欲の大いなる力は、
太陽を通して、どこから来るのだらう。
 
 
シュタイナーは、
『世と人のなりかはり』(全集175巻)の中で、
「父なるもの」からだと話してゐる。
 
 
その「父なるもの」
「そもそも世を創りし方、
 そしていまも創り続けてゐる方」
と人との出会ひは、
ひとりひとりの生涯の内に一度はきつとある。
 
 
人生の中で、
己れといふもののこだはりが脱ぎ捨てられた時、
夏の太陽のやうな巨大な輝きと熱、
感動と驚きと畏敬の念いに満たされる時、
その出会ひは生じる。
 
 
だから、子どもの頃、丁度、
これから始まる夏にかけて、
大いなる天空を仰ぎ、
そこに拡がる青空や夜の星々に想ひを重ね、
感情と意欲を大いなる叡智に沿はせていくことは、
人生にきつと一度は生じる
「父なるもの」との出会ひに向けた良き備へになる。
 
 
人生の中で、このことばが、
予感として、響くときが、きつとある。
 
 
光の中で、
あなたを失ひなさい、
あなたを見いだすために
 
 
 
 
 
我が意欲のこだわりを忘れ、
夏を知らせる世の熱が、満ちる、
精神とこころのものとしてのわたしに。
光の中でわたしを失くすやうにと、
精神において観ることがわたしに求める。
そして強く、予感がわたしに知らせる、
「あなたを失ひなさい、あなたを見いだすために」
 
 
 


posted by koji at 06:53 | 大阪 | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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