2020年05月31日

生まれ変はり


 
雲海を見下ろすさすらい人 .jpg
フリードリッヒ「雲海を見おろすさすらひ人」

 
わたしたちは、この同じ時代を
共に生きてゐます。
 
 
同じ空気、同じ雰囲気のなかに生きてゐます。
 
 
しかし、これからは、同じ空気のなか、
同じ時代のなかであつてさへも、
ひとりひとりの意識の違ひで、
これまでとは比べものにならないほど、
人によつて生き方も大きく分かれてくるだらう、
さう想ひます。
 
 
これからは、ますます、
皆が皆、横並びになることで、
安心するやうな生き方は終はり、
ひとりひとりが、
言ふならば、自分勝手に生き始める。
 
 
さうして、どんどんその人らしい、
自由な生き方に入つて行く人もあれば、
逆に、自分勝手に生き始めることで、いつさう、 
こころの底のじりじりとした不安は、
誤魔化せないやうになる人もゐる。
 
 
わたしもさうです。
この不安を誤魔化して生きて行くことはできないと、
痛感してゐます。
 
 
最も恐れてゐたことが起こるやうに、
人生はできてゐる。
 
 
そんなことをリアルに痛感するのです。
 
 
問題は、この恐れといふ情に、
しつかりと向き合ふことだと
思はざるをえないやうになりました。
 
 
向き合はないと、
わたしは、一生涯、
自分といふ人間の本質にアクセスしないまま、
生涯を終へてしまふことになる。
 
 
わたしといふ人間の本質にアクセスする、
自己認識といふものが、
これほど抜け落ちるものなのかと、
これまでの人生を振り返つて愕然とします。
 
 
これまでと同じやうな、
考へ方、感じ方、生き方を繰り返すのは、
もう御免だ、
新しい生き方を始めたい、
さう熱望するのは、
きつと、
支配欲や承認欲求や愛の不足感からではなく、
さうせざるをえない、
ぎりぎりのところまで来てゐるのです。
 
 
下手な比喩ですが、
靄のかかつた山の遥か向かうに、
雲の切れ間からかすかに光が見えてゐるとしたら、
それは、どんな生き方を人に指し示してゐるのだらう。

 
少なくとも、わたしは、
自分自身の弱みといふところに、
真正面から向き合へるときが来てゐるのなら、
そこからゆつくりとでもいいから、
あらためて高みを目指す生き方をしたい。
 
 
自分自身の精神の向きに従つて、
切磋琢磨して己れを磨きつづけたい。
 
 
さうして、わたしは、人に学びたい。
 
 
その人は、生きてゐる現世の人であり、
またすでにこの世を去つてゐる人もある。
  
 
すべての人のことばに、もつともつと、
耳を澄まして聴き入りたい。
 
 
人のことばの後ろにあるこころと精神、
それは、わたし自身のこころを育てる、
なによりのものだから。
 
 
また、
この世を去つて、
数十年、数百年、数千年経つても、
厳としてわたしのこころの前に直立してゐる方々の
こころと精神。
 
 
彼らが残した仕事の価値は、
時の流れの試練をくぐり抜けて、
今も果てしなく重く、高い。
 
 
彼らが残してくれたのは、「ことば」、
書かれた「ことば」です。
 
 
その「ことば」は、
ひつそりと静かに慎んでゐながら、
それを読みに来る人、
聴きに来る人、
摑みに来る人を待つてゐます。
 
 
その「ことば」から溢れ、流れて来る、
その人のこころと精神に、
禊ぎをさせてもらふやうに、
洗はれ浄められる必要がわたしにはある。
 
 
毎日の暮らしのなかで、
さういふ精神の営み、
精神からの受洗、
こころの生まれ変はりを生きていく。
 
 
さう、こころを決めてゐます。
 
  




posted by koji at 08:22 | 大阪 ☔ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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