背後の、天を仰ぐ亀と共に
「密(ひめ)やかに学ぶ人が問ふてほしいのは、
みづからといふものを、
育つといふことに向けていくのに、
何が役立つかである」
今朝読んだこの書の一文です。
わたしは育つ。
わたしは、みづからを育てて行くことができる。
みづからを育てて行けばこそ、
世を育てるに資することができる。
わたしが輝くことによつてこそ、
他者の輝きがいよいよ見えて来るのでした。
世の輝きが初めて見えるやうになるのでした。
では、このわたしを育てるためには、
何が役立つのだらう。
こと、わたしにとつては、
とりわけ、
与へられてゐる仕事のために、
最善の準備をすること、
そして、それにより、
己れを充実させ切ることです。
しかし、わたしを育てるための方途は、
この書に具体的に記されてある通り、
他にもまだまだ数多あります。
その可能性を己が身で常に試していたい、さう思ひます。
この『いかにして人が高い世を知るにいたるか』といふ書が、
何度もの読みの中で、
どれほど、なりかはつて行くことか。
そのことを実感するのは、
とても感慨深いことです。
ただ、この書が指し示すところの、
微妙な味はひ、香り、深みは、
いくつもの痛みと苦しみ、悲しみを
人生の中で経験することによつて、
いよいよ触知できる、
さう実感します。
また、いくつもの回り道を迂回して、
ふたたびこの書に立ち戻つて来る、
その機縁を待たねばならないやうにも思ひます。
さうして、
この書に静かに取り組む人に、
この書は語りかけてきます。
その声は、とても静かで、密(ひめ)やかで、かつ、
この身に熱をもたらすやうな確かさを湛えてゐます。
現実の時間の中で、
この書の内容に沿つて、
こころの練習をつづけること、
実際にしつけることこそが、
すでに、その人を、
精神への道に置くやうに感じられます。
この鈴木一博氏による翻訳は、
ドイツ語と日本語といふ、
ふたつの言語の間の隔たりを隔たりとして、
意識的に捉えながら、
その違和感と同時に、
目覚ましい親しさを生みだしてゐます。
違和感と親しさ。
その二律背反は、翻訳することの中に、
常に浮かび上がつてくることでせう。
この翻訳は、とりわけ、
違和感「と」親しさ、と言ふときの、
この「と」に意識的になることで、
積極的に人のこころに、
新しい言語感覚をもたらさうとしてゐます。
どの国の人であれ、どの民族の人であれ、
ふだんの親しくしてゐる身の動きがあり、
その動きはある程度、普遍的なものであるはずです。
そして、シュタイナーは、
親しみのある動きを湛える動詞といふことばを、
特に念入りに用ひました。
翻訳においても、
その動きを引き立てることで、
ふたつの言語にある隔たりに新しい橋を架けようと、
訳者は努めてゐるやうに感じられます。
たとへば、
denken (考へる)といふ動詞から生まれてゐる、
Denken といふ名詞は、普通、「思考」と訳されますが、
ここでは、その内なる動き
「か・向かふ」「か・迎へる」を殺さないやうに、
「考へる」とそのまま訳されてゐます。
だから、
「人の思考は・・・」と普通訳されるところが、
「人の考へるは・・・」となります。
普段、わたしたちが言はない言ひ方です。
また、たとへば、
sein といふ be 動詞に当たる動詞から生まれてゐる、
Dasein といふ名詞も「存在」と訳されずに、
「ある」と訳されてゐます。
だから、
「精神の存在として・・・」などと普通訳されるところが、
「精神のあるとして・・・」
「ありありとした精神として・・・」と訳されてゐます。
また、
Verwandlung は、
普通「変化、変容」などと訳されますが、
ここでは、
「なる」「変はる」といふ親しい動詞を身に引きつけながら、
「なりかはり」と訳されてゐます。
これらは、ほんの一例に過ぎませんが、
この翻訳は、一貫して、
からだとこころに親しくつきそふことばを、
精神の観点から選択してゐます。
動詞に湛えられてゐる「動き」を汲み取りながら、
読んでみて下さい。
文字を追ひつつ、
声に出しながら本を読む人は、
自分の考へる働きに、
自分の欲する働き、意欲の働きが注ぎ込まれるのを、
感じるでせう。
考へると欲するが重なります。
みづからの身の働きをもつて本を読むといふことが、
この翻訳によつて促されてゐますし、
そもそも、この書を書き記したシュタイナーも、
その促しをこそ、人の意識にもたらさうとしました。
考へる働きに、
欲する働きを注ぎ込んで、
意識を持続させ、
意識を活性化させ、
その反復によつて、
外の世の動きに惑はされない、
内なる力を育む。
そのことが、時代の課題でもある。
この書に限らず、
シュタイナーによるすべての著作は、
そのことの促しに満ちてゐます。
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