


精神の深みからの光の中で、
その場その場で実り豊かに織りなしつつ、
神々の創りたまふものが啓かれる。
その中に、こころそのものが顕れる、
ありありとした世へと広がりつつ、
そして立ち上がりつつ、
狭い己れの内なる力から。
Im Lichte, das aus Geistestiefen
Im Räume fruchtbar webend
Der Götter Schaffen offenbart:
In ihm erscheint der Seele Wesen
Geweitet zu dem Weltensein
Und auferstanden
Aus enger Selbstheit Innenmacht.
画家とは、何をする人なのだらう。
セザンヌの絵を観て、
そのことを考へさせられる。
「仕事」として絵を描くとは、どういふことか。
セザンヌのことばによると、
「感覚を実現すること」、
それこそが絵を描くといふことであつた。
それこそが、彼の「仕事」だつた。
彼が強い意欲をもつて、
ものを見ようとすればするほど、
ものの方が、彼をぢつと見つめる。
自然が自然そのものの内に秘めてゐる持続的な、
強い、時に巨大な「もの」を彼に流し込んでくる。
それは既に、
感官(目や耳などの感覚器官)を超えて
受信される「もの」である。
そして、
自然からのそのやうな
「もの」の流れに応じるかのやうに、
あまりにも巨大なセザンヌ自身の
「こころそのもの」が顕れる。
その場その場の自然から流れ込んでくる「もの」。
そして、立ち顕れてくる彼自身の「こころそのもの」。
そのふたつの出会ひそのものを、
キャンバスの上に、色彩で顕わにしろと、
彼は自然そのものに求められる。
その求めに応へるのが、
「感覚の実現」であらうし、彼の仕事であつた。
その求めに応へ続けたのが、彼の生涯だつた。
世は、人に、
「その場その場で実り豊かに織りなしつつ
神々が創りたまふもの」
を啓いてほしいと希つてゐる。
なぜなら、それによつて、人は、
「 狭い己れの内なる力から、
ありありとした世へと広がりつつ、
自分の足で立ち上がりつつ、
自分自身のこころそのものを顕わにする」ことが
できるからなのだらう。
セザンヌは、そのことを、
意識的になさうとした人だと感じる。
精神の深みからの光の中で、
その場その場で実り豊かに織りなしつつ、
神々の創りたまふものが啓かれる。
その中に、こころそのものが顕れる、
ありありとした世へと広がりつつ、
そして立ち上がりつつ、
狭い己れの内なる力から。
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