シェイクスピアの最後の作品「あらし」の読後感をまづ言ふなら、「いま、ここに、わたしはゐる!」「そして、いま、ここで、わたしは何をすることができるだらうか!?」といふ強い直感にも似たことばになります。
シェイクスピアは何を描き、何を問ふたか。
どんなに厳しい状況であらうと、全く新しい境地へ一歩踏み出すことのできる「人間の可能性」を描いたのだ。
そして、夢からのひとりひとりの目覚めと、その目覚めたところから、「あなたは何をするのか」といふ問ひを、観客、そして読者のひとりひとりに突き付けた。
さう感じます。
その発せられた問ひは、400年の時を越えて、民族の違ひを越えて、意識のこころを耕すことを課題としてゐる、いまを生きてゐるわたしに強烈に響いてきます。
ルドルフ・シュタイナーは、シェイクスピアについて、次のやうに述べてゐます。
「野次馬根性」「八方美人性」「冷淡さ」「全世界的感覚」、そして、「ただ見る」といふことのアクティビティ、それらの心的態度をもつて、意識的に作品のひとつひとつ、人物のひとりひとりを造形して行つたといふこと。
特定にこだわるのではなく、すべての人、ひとりひとりの内に潜む普遍にこそ、こだわつた、といふこと。
自分を無にして、あらゆる人の内面と親和しようとした、シェイクスピアの「献身性」。
人の意識の変遷、東と西の照応、天と地の交流、個と社会の新しいあり方、そこに問はれるイニシアティブの秘密、そして不完全・未熟・未完であるからこそ、人は成長できるのだといふこと、運命と自由、愛と自由といふこと・・・。
それらの考へが、すべてこの作品の中で有機的に繋がり合ひ、わたしの内に、今を生き抜いて行かうといふ、意欲を湧き立たせてくれます。
文学が、まさに今、わたしがここにあることのアクチュアルな問題として切迫してくるのです。
アントロポゾフィーからの文学研究を、舞台芸術としての言語造形を通して、なしていく。
わたしの後半生のテーマなのです。
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