日本武尊を御宰神とする、
滋賀の瀬田にある建部大社。
そこからいただいた願ひ石をお返しに、
足を運びました。
願ひ石 建部のやしろに お返しす
桜の花の 散りゆくまぎわに
人と話さず、
神と話しに行く。
そこでは、本当は、
「願ひ」をかけるのではなく、
ただ、ひたすら、
「ここに、かうして、
生かされてゐることがありがたいです」
とお伝へするだけなのですね。
神の顕れとして、
やしろが、木々が、桜が、苔が、
ありありとあります。
そのすべてが、
神の願ひの顕れだと感じられます。
きつと、
人の意識の表面にある願ひではなく、
たましひの奥底にある願ひこそ、
神はすでに聴き取られてゐるやうに思ふのです。