
ゲーテの『ファウスト』を初めてしつかりと読み終へました。
最後の節、「深山の谷」の、夭折した幼な子の靈たちのことばを読み、慟哭せざるを得ませんでした。
【夭折した幼な子たちの合唱】
教へて下さい 善き父よ
わたしたちはどこを漂ひ
わたしたちは誰なのか
わたしたちはみな 仕合はせです
わたしたちはみな ここにゐて
こころ穏やかです
互ひに手を繋ぎ合ひ
ひとつの喜びの輪になりませう
空をゆつくり巡りながら 声を合はせ
清きこころを歌ひませう
神の教へを受けて育つものは
疑ふことなく信じます
敬ひ信じるあの方を
(『ファウスト』「深山の谷」より)
いま、現実の世界でも、多くも多くの幼な子たちが、閉じ込められてゐたところから、救ひ出されてゐるやうですね。
そんなときに、この『ファウスト』を読むことができたこと、そして読み終へた後、これまでに夭折してしまつた、幼な子たちの御靈(みたま)が、いま微笑みながら、見上げた空に浮かんでゐた小さな雲として、天へと消ゑて行つたことが、奇しき「しるし」のやうに思へてなりませんでした。
『ファウスト』とは、悪魔と契約を交わした男のお話です。
彼は最後には、救はれて、聖なるをとめのもとへと昇つてゆきます。
とても僭越なこととは思ひながらも、先日演じたわたしたちの劇『 をとめ と つるぎ 』と、この『ファウスト』の大河のやうな精神とは、ひとすぢ繋がつてゐることを知り驚きました。
これは、『ファウスト』を読み、また『 をとめ と つるぎ 』を聴いていただいてゐなければ、なんのことだか分からないことだと思ふのですが・・・。
ただ、『ファウスト』の最後のことばだけ、ここに挙げておきたいと思ひます。
【神々しく秘めやかな合唱】
なべて過ぎゆくものは
たとへに過ぎず
地の上にては至らざりしもの
ここにまったきものとして現はれ
おほよそ ことばに言ひがたきこと
ここになる
とこしへなるもの をとめなるもの
われらを彼方へと導きゆく
(『ファウスト』「深山の谷」より)
をとめと神は いまも ひとつです
神 われらの親なり われらの親なり
神と人 そも親子なり
(『 をとめ と つるぎ 』より)
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