丹生川上の夢淵付近
今月、次々と仕事がキャンセルになり、
わたしのやうに、
フリーランスで生計を立ててゐる者にとつては、
ピンチであります。
しかし、さういふ、いまだからこそ、
チャンスであると考へてゐます。
勉強できます。
そして、
この世は、いはば、
神が描く一枚の絵です。
だから、
絵をみるときのやうに、
この世をぢつと、ぢつと、みる。
絵の前に立つとき、
わたしは静かに立ち尽くし、
画面を凝視する。
からだとこころを静止のうちに置くのです。
さうして、
絵のうちに渦巻いてゐる精神が、
こちらのこころに働きかけて来るのを、
待つのです。
ときにゆるやかに、
ときに一気呵成に、
精神が働きかけて来て、
やがてこころが激しく動き始める。
そのこころの動き、働きは、
強制されてのものではなく、
みづからのもの、
統制されつつ、自由の翼を得たものです。
要(かなめ)のことは、
絵をみるときのやうに、
こちらが右往左往せずに、
ぢつと立ち止まり、
ぢつと立ち尽くし、
ぢつとみつめること、
さう自戒してゐます。
さうして、
こころに、
精神の風と光と熱を流し込むのです。
いま、外なる仕事はありません。
こころだけになり、
精神に親しくつきあふ、
そんなチャンスのときだと感じてゐます。
我れ立たむ ながるる川の 岸の辺に
淀みも早瀬も 同じ神川