東山魁夷 「碧湖」
考へる力が強まる、
精神の生まれとの結びつきの中で。
それは感官へのおぼろげなそそりを
まつたき明らかさへともたらす。
こころの満ち足りが
世の繰りなしとひとつになりたいのなら、
きつと感官への啓けは、
考へる光を受けとめる。
Es festigt sich Gedankenmacht
Im Bunde mit der Geistgeburt,
Sie hellt der Sinne dumpfe Reize
Zur vollen Klarheit auf.
Wenn Seelenfülle
Sich mit dem Weltenwerden einen will,
Muß Sinnesoffenbarung
Des Denkens Licht empfangen.
ここで言はれてゐる「考へる力」とは、
余計なことを考へない力のことである。
そして、この時、この場で、
何が一番大事なことかを考へる力のことだ。
その力を持つためには、練習が要る。
その練習のことを、
シュタイナーはメディテーションと言つた。
普段に感じる共感(シンパシー)にも
反感(アンチパシー)にも左右されずに、
浮かんでくる闇雲な考へを退けて、
明らかで、鋭く、
定かなつくりをもつた考へに焦点を絞る。
ひたすらに、そのやうな考へを、
安らかに精力的に考へる練習だ。
強い意欲をもつて考へることで、
他の考へが混じり込んだり、
シンパシーやアンチパシーに巻き込まれて、
行くべき考への筋道から
逸れて行つてしまわないやうにするのだ。
その繰り返すメディテーションによつて、
「考へる力」が強く鍛へられる。
この時期に、
メディテーションによつて強められる考へる力が、
こころにそそりが及んできてゐるのを、
おぼろげに感じるやうにわたしたちを導き、
さらに、だんだんと、
そのそそりを明らかなものにしてゆく。
それが明らかになるほどに、
こころは満ち足りを感じる。
こころのなかに精神が生まれるからだ。
そして、そのこころの満ち足りは、
自分だけの満ち足りに尽きずに、
人との関はり、世との関はりにおいてこそ、
本当の満ち足りになるはずだ。
こころの満ち足りは、やがて、
ことばとなつて羽ばたき、
人と人とのあひだに生きはじめ、
精神となつて、
人と世のあひだに生きはじめる。
こころの満ち足りが、
世の繰りなしとひとつになつてゆく。
ひとりで考へる力は考へる光となつて、
人と人のあひだで、
人と世のあひだで、
明るく灯されるのだ。
考へる力が強まる、
精神の生まれとの結びつきの中で。
それは感官へのおぼろげなそそりを
まつたき明らかさへともたらす。
こころの満ち足りが
世の繰りなしとひとつになりたいのなら、
きつと感官への啓けは、
考へる光を受けとめる。
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