2020年02月08日

型を叩き込む


 
IMGP0005.JPG

 
 
基本練習といふものが、
言語造形にもあります。
 
 
その練習を積み重ねることによつて、
型をからだに叩き込むのです。
 
 
知性で捉えられた知識は、
芸術においては頼りにならないもので、
なにほどのものでもありませんが、 
からだに叩き込まれた型は、
その人を根底から支へます。
 
 
型とは、
その芸術に固有の法則から生まれてゐます。
 
 
自然のものすべてに法則があるやうに、
ことばといふものにも法則があるのです。
 
 
ことばは人間が作つたものではなく、
神が造られたものだからです。
自然のものだからです。
 
 
その法則を知識としてではなく、
繰り返し、繰り返し、
練習といふ実践を通して、
からだまるごとで、
ことばの法則に則つてゆくのです。
 
 
昔、あるオイリュトミストが、
わたしに言つたことがあります。
 
 
「練習はあまり必要ありません。
むしろ、意識の持ち方が大事。
いまは、意識魂の時代だから」
 
 
わたしは、その方には申し上げませんでしたが、
それは絶対に違ふと思ひました。
 
 
意識などは、すぐに変へられる。
 
 
しかし、その変へられた意識は、
ふたたび、また、元の木阿弥に返つてしまふのだ。
 
 
元の木阿弥に返つて、
お馴染みのやり方、あり方になつてしまふのが、
人のからだだ。
 
 
人は、繰り返し練習を重ねること以外には、
己れみづからのからだを通しての技量を
めていくことは決してできません。
 
 
からだとは、それほどに、
手のかかるものであります。
 
 
また、その繰り返しの練習から、
身に叩き込まれた型があるからこそ、
逆に、その人からしか生まれない、
個性的なものが生み出されます。
 
 
しかし、この個性は、
長い時間の中でこそ生まれて来るものです。
 
 
十年、二十年、三十年・・・
限りはありませんが、
そのやうな長い時間を通して、
培はれた基礎がものを言ひます。
 
 
わたしも、
不遜に聴こゑるのを恐れるのですが、
基礎練習を重ねつつ、
これからどういふものが、
この身から生まれて来るのかと、
気を引き締めてゐます。
 
 
 


posted by koji at 22:54 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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