2020年02月04日
すべての学びの根柢 〜歴史と風土教育〜
いま、自分も含めてですが、
神社や歴史的遺蹟を巡り歩いてゐる人が、
とても多くなつてゐます。
(特に、関西・近畿地方において?)
多くの人が、
思ひ出すべき何かを思ひ出さうとして、
さういふ所を訪ね歩いてゐるのだと感じます。
奈良の大和路の辺りを歩いてゐて、
つくづく感じることが、
我が国の文化と歴史を
知りながらかういふ所を歩いてゐるのと、
知らないで歩いてゐるのとの違ひは大きい、
とてつもなく大きい、といふことでした。
そして、かういふ学びと行為は本来、
小学生、中学生、高校生のときに
やつておきたいことだ、
といふことです。
いまの大抵の修学旅行や遠足などは、
ただのレクリエイションになつてしまつてゐて、
学校では我が国の歴史や文化のなりたち、
敬ふべき大切なものをなんら教へずに、
ただ子どもたちを名所旧蹟に引つ張つていき
歩き回らせてゐる。
子どもたちには何の感興も感動もない。
酷いものになると、
ディズニーランドや、
テーマパークなどに連れて行つて、
子どもたちの浅はかな機嫌を取る。
歴史や風土を教へるにも、
子どもたちが我が国、我が土地、我が風土に、
誇りと美しさを覚えるやうな、
人の成長にふさわしい教へ方と内容が必要です。
そのやうな教育の根源は、我が国に於ては、
幸ひながら、
古事記や萬葉集や風土記といつた、
古典作品に収められてゐます。
声高に叫んだりしませんが、
静かに収められてゐます。
我が国の古典作品は、
我が国の土着のものでありながら、
どこまでも高くて深い見識をいまだに湛えながら、
わたしたちのこころのとばりの向かう側に、
ひつそりと佇んでゐます。
その古典を学びながら、
そこから歴史と風土と文化を知らうとしながら、
その固有の精神・神々と、
土地の精神・地霊の方々との、
交はりを求めて、
その伝来の土地の上に足を踏み出していく。
その足をもつての学びは、
人に自己肯定感と、
故郷に戻つた時のやうな、
どこまでも深い安心感をもたらすのです。
多くの問題、こころの問題のおほもとは、
己れの出自・源に対する
不見識、否定感、不信感にある。
しかしこれは、そもそも、
学校教育に期待するやうなものではないのかもしれない。
家庭での、わたしたち親たちによる、
わたしたち親自身の自覚の問題です。
それは、夫婦関係、親子関係、人間関係の深まりといつた、
小さな社会の礎創りこそが、
すべての学びの根底にあるからです。
自分自身の足元を見直す。
そんなあり方を探つていきたい、
と考へてゐます。
#国学 #教育
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