2020年01月11日

こころのこよみ(第40週)〜虚しい想ひ込みを焼き尽くす世のことば〜



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そして、わたしはある、精神の深みに。
 
わたしのこころの基において、
 
心(臓)に満ちる愛の世から、
 
己れであることの虚しい想ひ込みが、
 
世のことばの火の力によつて、焼き尽くされる。
 
 
 
Und bin ich in den Geistestiefen,
Erfüllt in meinen Seelengründen
Aus Herzens Liebewelten
Der Eigenheiten leerer Wahn
Sich mit des Weltenwortes Feuerkraft.
 
 
 
「わたしは、いる」
「わたしは、いま、ここに、いる」
といふ響きから生まれてくる情よりも、
 
 
「わたしは、ある」
といふ響きから生まれてくる、
「いま」「ここ」さへも越えた、
「わたし」といふものそのもの、
「ある」といふことそのことの、
限りのない広やかさと深さと豊かさの情。
 
 
何度も声に出してゐる内に、その情を感じる。
 
 
「わたしは、ある」。
 
 
それは、その人が、
どんな能力があるとか、
どんな地位に就いてゐるとか、
からだの状態が、健やかであらうが、
さうでなからうが、
そのやうな
外側のありやうからのことばではなく、
ただ、ただ、
その人が、その人として、ある、といふこと。
そのことだけをその人自身が見つめて、
出てきたことば。
 
 
そのときの「わたし」は、
目には見えない<わたし>だ。
 
 
 
 
そして、
シュタイナーの『精神の世の境』といふ本から
要約したかたちだが、
「愛」についてのことばを引いてみる。
 
 
―――――
 
 
精神科学の学び手は、考へる力を通して、
「わたしがあることの情」を
育んでいくことに重きを置いてゐる。
 
 
その情が、
こころに強さと確かさと安らかさを
与へてくれるからだ。
 
 
そして、学び手は、
この感官(物質)の世を生きるにおいては、
その強められた「わたしがあることの情」を
抑へることを通して、
愛を生きる。
 
 
愛とは、
みづからのこころにおいて、
他者の喜びと苦しみを生きることである。
 
 
感官を凌ぐ意識によつて
人は精神の世に目覚めるが、
感官の世においては、
精神は愛の中で目覚め、
愛として甦る。
  
 
ーーーーーー
  
 
 
「世のことばの火の力」
1月6日、ヨルダン川におけるヨハネの洗礼によつて、
30歳のイエスは、
「世のことば」キリストを受け入れた。
その「世のことば」は火の力にまでなつてゐる。
 
 
その火の力は、
わたしたちひとりひとりのこころの基において
「己れであることの虚しい思ひ込み」を焼き尽くす。
 
 
そして、心(臓)に、他者への愛が息づき始める。
 
 
わたしによつて強められた
「わたしがあることの情」が、
わたしによつて抑へられることによつて、
「己れであることの虚しい想ひ込み」
が焼き尽くされる。
心(臓)に愛(インスピレーション)が満ちる。
 
 
そして、わたしはある、精神の深みに。
 
 
 
 
そして、わたしはある、精神の深みに。
わたしのこころの基において、
心(臓)に満ちる愛の世から、
己れであることの虚しい想ひ込みが、
世のことばの火の力によつて、焼き尽くされる。



posted by koji at 07:27 | 大阪 | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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