2019年12月27日

こころのこよみ(第38週) 聖き夜の調べ


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わたしは感じる、
 
まるでこころの奥で、
精神の子が魔法から解かれたやうだ。
 
その子は心の晴れやかさの中で、
 
聖き、世のことばとして、
 
希みに満ちた天の実りとして、生まれた。
 
それが喜びの声を上げて世の彼方へと拡がりゆく、
 
わたしのわたしたるところ、神の基から。
 
 
 
Weihe-Nacht-Stimmung   
Ich fuehle wie entzaubert
Das Geisteskind im Seelenschoss,
Es hat in Herzenshelligkeit
Gezeugt das heil'ge Weltenwort
Der Hoffnung Himmelsfrucht,
Die jubelnd wächst in Weltenfernen
Aus meines Wesens Gottesgrund.
 
 
 
 
クリスマス、それは、をさな子の誕生を寿ぐ日。
 
 
どの人のこころの奥にも眠つてゐる、
をさな子のをさな子たるところの生まれを祝ふ日。
 
 
をさな子、それは、
子ども時代の内でもとりわけ、
記憶の境の向かう、
三歳以前のわたしたちのありやう。
 
 
いまこそ、この時代こそ、
世の男たちの(このわたしの)
内なるをさな子が目覚めますやうに。
さう祈らずにはゐられない。
 
 
なぜなら、をさな子のをさな子たる力とは、
世のすべての争ひ、分け隔て、エゴ、
それらを越える、創造する力、愛する力だから。
 
 
わたしたちは、この世に生まれてから、
おほよそ三年かけて、
歩く力、話す力、考へる力を育み始める。
 
 
その三つの力は、
人のからだを創つていく力でもある。
 
 
歩く力によつて脚が、
話す力によつて胸が、
考へる力によつて頭が、
だんだんと創られていく。
 
 
歩く力、話す力、考へる力は、
当然その子によつて、
意識的に身につけられたものでもなければ、
大人によつて教へ込まれたものでもなく、
そのをさな子の内から、
まるで神々しい力が繰り出してくるかのやうに、
地上的な力を超えたところから、生まれてくる。
 
 
そのおのづと生まれてくる神々しい力は、
しかし、三年間しかこの世にはない。
 
 
をさな子のをさな子たるところが輝く三年間から後は、
その子の内に、
少しづつ地上を生きていくための知性と共に、
エゴがだんだんと育ち始める。
 
 
しかし、きつと、それも、
人の育ちにはなくてはならないもの。
 
 
三年の間のみ、人の内に、
からだを創るための神々しい力が通ふ。
 
 
その地を越えた神々しい力は、
この地を生きていくための基の力である。
 
 
「聖き、世のことば」キリストも、
この世に、三年間しか生きることができなかつた。
 
 
イエス、三十歳から三十三歳の間だ。
 
 
そのイエスにキリストとして三年間通つた力は、
をさな子のをさな子たるところからの力であつた。
 
 
キリストは、
世のすべての争ひ、分け隔て、エゴを越え、
人のこころとこころに橋を架ける愛する力として、
この地上に受肉した。
 
 
後にキリストを宿すイエスが
母マリアから生まれたとされてゐる、
24日から25日の間の聖き夜。
 
 
その夜から、
キリストがイエスに受肉した1月6日までを
クリスマスとして祝ふ。
 
 
そして、このクリスマスは、
二千年以上前のおほもとの聖き夜に
起こつたことを想ひ起こすことを通して、
わたしたちの内なるをさな子たるところを
想ひ起こす時だ。
 
 
そして、いまから三千年以上あとに、
すべての人がみづからのこころに
精神のをさな子(生命の精神 Lebens Geist)、
キリストを見いだすことを、
予め想ひ起こして祝ふ時だ、
さうシュタイナーは語つてゐる。
 
 
三歳以前のわたしたちの内に、確かに、
その神々しい力が通つてゐた。
 
 
そして、実は、いまも、通つてゐる。
 
 
しかし、そのことを人は知らない。
 
 
わたしが、
その神々しい力を想ひ起こせばこそ、
いまもその力が通つてゐることに
目覚めることができる。
 
 
このクリスマスの日々に、
その力を自分の内にも認めればこそ、
来る年への希みが羽ばたき始める。
 
 
争ひ、闘ひ疲れてゐる男たちが、
みづからの内なるをさな子を
想ひ起こしてゆくならば、
世はおのづから刻一刻となりかはつていくだらう。
 
 
 
 
  
『聖き夜の調べ』

わたしは感じる、
まるでこころの奥で、
精神の子が魔法から解かれたやうだ。
その子は心の晴れやかさの中で、
聖き、世のことばとして、
希みに満ちた天の実りとして、生まれた。
それが喜びの声を上げて世の彼方へと拡がりゆく、
わたしのわたしたるところ、神の基から。
 
 

 
※シュタイナーが、
 Seele といふことばを使ふときは、
 からだと繋がるところでありながらも、
 からだからは独立した働きを荷ふ
 「こころ」を言つてゐますが、
 Herzen といふことばを使ふときは、
 物質の心臓といふ意味合ひも持ち、
 またその物質の心臓の働きを支えている
 エーテルの心臓をも指すやうです。
 ここでは、
 Herzen を「心(臓)」と書き表しています。



posted by koji at 09:41 | 大阪 ☀ | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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