
今年1月に奈良で行はれた「古事記のまつり」にて
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シェイクスピアの英語は
語彙、語法、すべての点において、
他の同時代の作者に較べて遥かに難しい。
一般大衆の日常英語と較べたら、
それこそ雲泥の差であつた。
彼等は或る意味では
シェイクスピアのせりふは難しくて
よく理解できなかつたに相違ない。
エリザベス時代よりはるかに教育が普及し、
その程度も遥かに高くなつてゐる
今日のイギリス人にとつても、
シェイクスピアは難解なのである。
それでもイギリスでシェイクスピア劇を
一般観客が理解し易い様に
現代語訳して上演したりはしない。
そんな事を考へもしない。
だが、語彙、語法が難しいといふのは、
だからといつてそれが
楽しめないといふ事とは全く別事である。
近松の浄瑠璃の一語一語が理解できなくとも、
無学な江戸の民衆はそれを充分に楽しむ事ができた。
同様にエリザベス時代の大衆も今日のイギリスの一般観客も
原文のままのシェイクスピアを楽しんでゐるのである。
(福田恒存『言葉の芸術としての演劇』より)
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たとへ、ことばの「意味」が分からなくとも、
わたしたちは、ことばの芸術としての演劇を
楽しむことができます。
前回の文章でも述べさせていただいたやうに、
ことばは、まづ、
その響きであり、
その質であり、
その形であり、
その動き、うねり、拡がりこそが、
その本質なのです。
ことばを理解しようとするのではなく、
ことばのそれらの質を感覚すること。
それらを感覚できるといふことが、
舞台で俳優が生の声をもつて演じるのを、
観に行き、聴きに行く、楽しみであるのです。
詩人のやうに言ふなら、
ことばとは音楽であり、
彫塑であり、
舞踊なのです。
幼い子どもたちは、皆、
理解してからことばを使ふのではなく、
そのやうに感覚をもつてことばを味はひつつ、
だんだんと日本語に上達して行きます。
大人は、ややもすると、
そのやうなことばの感官を閉じてしまひ、
理性だけでことばを聞き、
情報伝達のためにだけことばを使はうとしてしまひます。
しかし、ことばとは、もつと、もつと、
全人間的なもの、
宇宙的なもの、
神々しいものなのです。
だから、
わたしたちの舞台では、
その言語の言語たるところを引き立てるべく、
主に日本の古典作品を
原語のまま上演することに挑戦し続けてゐます。
これまでに、
『古事記』や『萬葉集』『風土記』に、
『源氏物語』や『平家物語』などを取り上げて来ました。
まだまだこれらの作品を深めて行きたいですし、
また別の作品にも挑戦して行くことで、
ことばに生命あり、精神ありと深く信仰してゐた、
日本古来の古典精神を、
ことばの造形を通して、
追ひ求めていきたいと希つてゐるのです。
そして、そのやうなわたしたちの仕事が、
新しくこの国の精神文化を支へ、育み、
後代へと大切な何かを受け渡していく
橋となることを
固く信じてやつてゐます。
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