文芸評論家であり、
翻訳家、戯曲家、演出家でもあつた、
福田恒存がこんなことを書いてゐます。
―――――――
演劇とは、
せりふの芸術、
ことばの芸術である。
そして、
そもそも、
そのことばの「意味」が
分からうが分かるまいが、
そのことばに身ぶりがあれば、
観客は存分に楽しめるのだ。
なぜなら、せりふとは、
俳優の口を突いて出てくる、
その身悶えであり、
身振りであるからだ。
どんなに悲劇的な場面であつても、
ハムレットは、
自分のことばが身振りとしての律動に乗つて、
宙に飛び散つてゆくのを、
実はひそかに楽しみ、
その楽しみに酔つてゐる。
何かの「意味」などを
伝へようとしてゐるのではなく、
彼は自分のことばを吐き出してゐる。
ことばで自分を鞭打ち、
ことばで自分にまじなひを掛け、
自分をことばの次元にまで引き上げようと、
暴れ回つてゐるのだ。
わたしは、それを演戯とも呼んだ。
(福田恒存『翻訳論』より)
―――――――
ことばこそが、
演劇を芸術へと高めるのであり、
決して理論や思考や思惑が
さうするのではないといふこと。
より精確に言ふなら、
ことばの音韻と律動とスタイルに導かれて、
ことばを生きれば生きるほど、
初めて演戯が成り立つ。
さらには、身振り、身悶え、しぐさ、
さういふ人のこころからの行ひこそが、
ことばの内実なのだといふこと。
だから、
俳優は、
音韻から音韻へ、
身振りから身振りへと、
繰りなしていくことができるほどに、
舞台の上での自由を獲得できる。
ハムレットが話すことばの「意味」を探つて、
役作りをするなどといふことは、
芸術としてお門違ひなことであり、
ことばからことばへと、
リズムに乗つて口ずさむ心地よさから、
しだいにことばの流れ、波、うねりの中へと、
入り込んでいくことで、
俳優はその役を摑んでいくのです。
演出家とは、さういふ、
ことばの芸術としての演戯を
俳優ひとりひとりから引き出すべく働く者です。
今年の暮れの12月22日(日)の、
和歌の浦での『古事記の傳へ』。
来年3月28日(土)、29日(日)の、
大阪・東京での『 をとめ と つるぎ 』。
いづれも、
演出家のわたしとして、
その観点に絞り切つて創る舞台です。
木下順二や福田恒存が押し進めたかつた、
日本の舞台言語を芸術へと高める仕事を、
もう一歩奥へと進めたい、
と希つてゐます。
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