わたしはいま、世をかう感じる。
それは、わたしのこころがともに生きることなしには、
そこにはただ凍りついた虚しいいのちのみ、
そして、力が啓かれることもない。
人のこころにおいて、世は新しく創りなす。
世そのものにおいては、死を見いだすのみ。
So fühl ich erst die Welt,
Die außer meiner Seele Miterleben
An sich nur frostig leeres Leben
Und ohne Macht sich offenbarend,
In Seelen sich von neuem schaffend,
In sich den Tod nur finden könnte.
世とは、
この地球を含む
宇宙まるごとのことであり、
四季折々に織りなしてゐる自然の
いちいちのことであり、
このわたしをも含む
人といふ人のことでもあり、
そして、物質の域だけでなく、
こころの域、精神の域にまで及ぶものであるだらう。
その「世」といふものに、
この「わたし」が働きかけることによつて、
何が生じるだらうか。
たとへば、
こころを籠めて世の何かを、
世話する、
面倒をみる、
手塩にかけて育てる、などなど・・・。
人が、さうするとき、
その何かはどのやうな変化を見せてくれるだらうか。
人がこころを注ぎつつ手入れしてゐる庭と、
ほつたらかしの庭とでは、
何かが違ふ。
人が大事に、感謝をもつて住んでゐる家と、
家のあちこちに対して文句を言ひつつ、
手入れが行き届かない家と、
また、誰も住んでゐない家とでは、
それぞれ、趣きを異にする。
対象が、
庭や家だけでなく、
動物や人ならば、
その違ひもより明らかに見られるのではないだらうか。
それは、決して、気のせゐではない、
明らかな趣の違ひとしてしつかりと感じられる。
今週の『こよみ』では、かう記されてある。
わたしのこころが共に生きることなしには、
そこにはただ、凍りついた虚しいいのちのみ
世は、
人によつてこころから意を注がれることを
待つてゐるのではないだらうか。
花も、動物も、
水や風やあらゆる自然のものも、
人が創り出したあらゆるものといふもの、
機械類までも、
そして、
もちろん、人や、
目には見えないが世に存在してゐる者たちも、
人から、こころを向けられるのを、
待つてゐるのではないだらうか。
人がこころを注ぐところに、
新しいいのちが宿る。
いのち、
それは人が、
その人みづからのこころの力をもつて、
世に新しく与へることのできる愛、
と言つてもいいかもしれない。
人からの愛が注がれるところに、
新しく、世そのものがもつてゐる力が啓かれる。
さうして、世は、
人とともに、時とともに、更新されていく。
世は、
人からの積極的な行為、愛を、
待つてゐる。
人とは、
なんと大きな仕事を任されてゐることだらう。
わたしはいま、世をかう感じる。
それは、わたしのこころがともに生きることなしには、
そこにはただ凍りついた虚しいいのちのみ、
そして、力が啓かれることもない。
人のこころにおいて世は新しく創りなす。
世そのものにおいては死を見いだすのみ。
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