2019年11月24日

老いることと考へる力

 
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先日、ある方とお話しをたつぷりすることができた。
 
 
その方は、わたしよりも八歳年長の方であつたが、
精神的には、もつと年上の方であるやうに感じた。
 
 
それは、その方の考へる力から来るやうに思はれた。
 
 
人文学の領域であるが、
古典文学その他の読書の量が本当に豊かであられる。
 
 
そして、
御自身独自の見識をしつかりと保持されながら、
話し相手であるわたしのことばにも、
注意深く耳を傾け、
それに対して、
確かな口調で答へられる。
 
 
読書で育まれた考へる力によつて、
対話といふものを、
健やかに爽やかに営むことができることを、
その方は身をもつて証明してをられる方だつた。
 
 
対話とは、
考へる力と、
感じる力と、
それらをことばに鋳直す力、
これら三つの力の共同作業である。
 
 
さらには、
聴く力である。


人は、五十から六十の年齢へと進んで行くにつれ、
若い時のやうにからだは利かないし、
こころもみづみづしさや弾みを失ひがちだ。
 
 
さうして、さらに老いていくに従つて、
考へることや言ふことも、
的を得なくなり、
どこか支離滅裂になつていくことを見るのは、
とても、とても、悲しいことだ。
 
 
からだは老いていく。
 
 
しかし、その衰えていくからだの甦りの力が、
考へる力・精神の力としてなり変はりゆく。
 
 
さうして、こころは、
みづみづしさを失ふことを避けることができる。
 
 
精神の働きによつて、
こころは、若々しくあることができるし、
年令を重ねることによつて、
熟していくことができる。
 
 
ただ、そのためには、
からだから自由になる考へる力を
うまく汲み取ることを、
若い頃から先だつて習ふことが必要になる。
 
 
理想をもつて生活し続けること。
 
 
自分などよりも、
遥かに上を行く存在があることを知つてゐること。
 
 
己れのライフワークがあることを自覚してゐること。
 
 
それらは、
読書によつて、
歴史を知り、
文学を知り、
人生を感じ、
己れを知りゆくことからこそ、
生じる意識である。
 
 
生命力は、
からだを保持する働きからだんだんと、
こころを精神に向けて、
透明にしていく働きへとなり変はつてゆく。
 
 
さうして、
みづからのこころに炎をつけることもできる。 
 
 
若いうちから読書を通して、
考へる力を養ひ続けることは、
人生の終盤において、
何かが深く違つて来るだらう。
 
 
そのことは、
男性も女性も変はりはない。
 

生きてゐて、
先達に出会ふことができるといふことは、
ありがたく、仕合はせなことだ。
 
 

 



posted by koji at 16:23 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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