西戸崎の浜から日本海を臨む
『 をとめ と つるぎ 』。
この戯曲は、
「古事記」『日本書紀」「古語拾遺」などの、
我が国の古典文学を礎にしながら、
第十四代・仲哀天皇とその皇后・神功皇后を、
主人公とする現代戯曲として書いたものです。
先日は、
この作品のテーマが、
史実として展開した地、
福岡の香椎宮、宇美八幡宮に行き、
志賀島近くで三日間の合宿を行つて来ました。
この作品の中では、
現代的なことば遣ひもあれば、
古語そのまま、
古典そのまま、
そんなことば遣ひも多用されてゐます。
それら古語によつて記されてゐる古典、
とりわけ、「古事記」は、
本来、朗唱・朗読されるものでした。
その本当の意味は、
発声・発音によつてこそ、
初めてこころに深く受け取られるものです。
しかし、問題は、
「ふさはしい」発声・発音とは、
いかなるものなのか、といふことです。
これまで、我が国の演劇においては、
能楽、歌舞伎、文楽、その他いくつかのものが、
その様式を保ちつつ、生彩を放ちつつ、
生き残つてゐます。
昭和二十年代半ばあたりから、
木下順次といふ劇作家が、
「山本安英の会」といふ会を創り、
日本の舞台言語としての芸術性の追求を
試みたことがありました。
舞台公演としては、
『夕鶴』や『子午線の祀り』が特に有名です。
そこでは、
それらの古い様式をもつ演劇と明治以降の新劇とを、
なんとか、舞台上で合一させて、
新しい日本の舞台言語を生みだせないか。
木下順二の試みはそのやうなものであつた、
と思ひます。
わたしたち「ことばの家 諏訪」も、
これまで、古典作品を原語のままで、
舞台作品化することに挑戦してきました。
それは、古語の持つてゐる、
ことばのダイナミズム、生命感、奥深さ、美しさを
引き立てたかつたからに他なりません。
そのために、古典作品に、新しい意識で取り組むこと。
それは、言語造形といふことばの芸術をもつてです。
話す人の間合ひ、勢ひ、身遣ひ、息遣ひ、
そこから空間の中に解き放たれる、
音韻の形、動き、リズム、ハーモニー、タクト・・・。
それらは、
生きた言語の精神の法則に則つたものです。
それら、ことばから生まれる様々な要素を一身に響かせ、
音韻の動きと形に導かれ、奏でながら、
ことばを話す。
それは、ことばの意味を踏まえつつも、
ことばの表層的な意味から離れ、
ことばの音韻、ことばの調べを感覚しつつ、
ことばを奏で、ことばでその場を満たし、
空間をことばのお宮にすること。
演じる人も、観る人、聴く人も、共に、
そのことばのお宮のなかに包まれること。
その技量と見識を養ひ、培ひ、育んでいくのが、
わたしたち「ことばの家 諏訪」の仕事なのです。
日本の舞台言語とはどのやうなものでありうるのか。
明治以来、いまだに見いだせてゐないそのことに、
わたしたちはひとつの具体的可能性を提示しようとしてゐます。
日本の新しい舞台言語を生み出すこと。
それが、わたしたちの仕事です。
しかし、その最も新しいものは、
最も古いものと、きつと、響き合ふことでせう。
来年、令和2年3月28日(土)に大阪にて、
3月29日(日)に東京にて、上演いたします。
ぜひ、聴きにいらして下さい。
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