本居宣長像
精神の深みからの光が、
まるで太陽のやうに輝きだす。
それは生きる意欲の力になり、
そして、おぼろな感官に輝きいり、
力を解き放ち、
こころから創らうとする力を
人の仕事において、熟させる。
Das Licht aus Geistestiefen,
Nach außen strebt es sonnenhaft.
Es wird zur Lebenswillenskraft
Und leuchtet in der Sinne Dumpfheit,
Um Kräfte zu entbinden,
Die Schaffensmächte aus Seelentrieben
Im Menschenwerke reifen lassen.
「精神の深みからの光が、
まるで太陽のやうに輝きだす」
わたしたちは、太陽の輝きには馴染みがある。
しかし、上の文を読んで、
「まるで太陽のやうに輝きだす
精神の深みからの光」
をどう捉へていいものか、
途方に暮れはしないだらうか。
この文、これらのことばの連なりから、
どのやうなリアリティーを
摑むことができるだらうか。
ことばのリアリティーを摑むために、
何度もこころの内に唱へ、
口ずさんでみると、
どうだらうか。
水が集つて流れるやうに声に出すことを
「詠む」といふさうだが(白川静『字訓』)、
そのやうな活き活きとした息遣ひで味はつてみる。
また、
その川底に光るひとつひとつの石を見るやうに、
一音一音、味はふやうにしてみる。
そのやうにことばを味ひ、
ことばの響きに耳を澄まさうとすることにより、
こころの静けさとアクティビティーを通して、
「精神の深みからの光」が、
「事」として、だんだんと顕れてくる。
ここで言はれてゐる
「事」と「言」が重なつてくる。
「考へる」が「感じる」とかさなつてくる。
また、過去に幾度か経験した
「輝きだす」瞬間を想ひ起こし始める。
そのやうにして、
リアリティーの糸口が見いだされてくるにつれて、
いまこの瞬間において、
「精神の深みからの光」が、
こころに降りてくるのを感じ、覚える。
そのやうにして、
「事(こと)」と
「言(ことば)」と
「心(こころ)」が、
光の内に重なつてくる。
その重なりが、
こころの内なる化学反応のやうに
生じてくるのを待つ。
「精神の深みからの光」
その「光」こそが、
「生きる意欲の力になり」、
「こころから創ろうとする力を、
人の仕事において熟させる」。
意欲をもつて生きるとは、
どういふことなのか。
自分の仕事において創造力が熟してくるとは、
どういふことなのか。
まづ、
内なる「光」といふもののリアリティーを得ることで、
それらのことが分かる道が開けてくる。
こころを暖め、熱くさせながら。
光だけを生きるのではなく、
熱をもつて仕事に向かい始める。
「考へる」「感じる」が、
さらに「欲する」とかさなつてくる。
「事」と「言」と「心」が、
さらに幾重にもかさなつてくる。
今週、
精神の光・考へる働きが、
活き活きと感じる力となり、
生きる意欲の力になり、
仕事を熟させていく。
その「事」を、
ことばとこころで辿つていかう。
精神の深みからの光が、
まるで太陽のやうに輝きだす。
それは生きる意欲の力になり、
そして、おぼろな感官に輝きいり、
力を解き放ち、
こころから創らうとする力を
人の仕事において、熟させる。
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