2019年10月28日

覚悟といふ精神の系譜 〜小川榮太郎著『保田與重郎と萬葉集』(月刊『VOICE』掲載)を読んで〜

 
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奈良県桜井市にある保田與重郎ご生家
 

 
わたしは思ふのです。
 
 
これから先、わたしたちの国の将来において、
たとへ何が亡びて行かうとも、
偉大なる先人が書き上げた偉大なる文業は、
残つて欲しい。
 
 
優れた先人による優れた文学は、
残つて欲しい。
 
 
それらの作品が、
この国の精神の証だからです。
 
 
文芸評論家の小川榮太郎氏は、これまで、
事実に基づく記述による、
徹底的な検証が重ねられた仕事を、
たくさん重ねてをられます。
 
 
日本といふ国を守るため、
人が人として生きるための尊厳を守るための、
志高い、かつ、大変質の深い仕事をし続けてをられます。

 
下に掲げるのは、
月刊雑誌『VOICE平成二十八年十・十一月号』に掲載の、
小川榮太郎氏の論文「保田與重郎と萬葉集」に対する、
三年前のわたしの拙い感想文です。
 
 
この論文は、
密やかに、この国の底の底でわたしたちを支へ続けてきた、
我が国ならではの精神文化について論じられたものです。
 
  
「日本の巨きな亡びの自覚」は、
国史上、極めて少数の文学者によつて、
極めて意識的に、ことばにされてきました。
 
 
そしてそれを熟読する読者が、
極めて少数かもしれませんが、ゐたことと思ひます。
 
 
その精神の継承あつてこそ、
日本はいまだ、日本として、
なんとか、存続しえてゐると念ふのです。
 
 
それゆゑ、この三年前の論文の感想文を、
いま、また、掲載します。
 
 
小川氏によるその非常に素晴らしい論文は、
いつか一冊の書籍の中に収録されるのでせうか。
 
 
そのことを強く希みます。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー
 



小川榮太郎氏による論文『保田與重郎と萬葉集』を読む。
 
 
そして、保田與重郎による『萬葉集の精神』を読む。
 
 
さらに、大伴家持による『萬葉集』をひもとき続ける。
 
 
そんな毎日が続いてゐる。

 
ここに記されてあるのは、「覚悟」といふ精神の系譜だ。
 
 
そのやうなこの国に伝来の精神が、
しづしづとわたしのこころの中に流れ入つて来るのを感じる。
 
 
その「覚悟」とは、
その精神の系譜を踏んで歩くのだと腹を決めることである。
 
 
それは、静かだけれども、
こころの奥底に確かに響いてゐる「志」からの声である。
 
 
新しく小川氏によつて書き表されたこの文章を熟読する。
 
 
さう、熟読を通してこそ、 
この精神の流れは、きつと、
こころある人から人へと承け渡されるのだから。
 
 
 
 
【大伴家持の覚悟】
   
 
日本といふ国において、
皇室の存在意義を揺るがすやうな危機は、
これまでの長い歴史の中で幾度かあつた。
 
 
それは同時に我が国の危機であつた。
 
 
古き神ながらの道・古神道から離れゆく、
政治的・文化的情勢の怒涛のやうな流れ。
 
 
その流れに対する悲哀と慟哭を強く感覚した者が、
まづもつて柿本人麻呂であつた。大伴家持であつた。
おどろの下の道を歩いた幾人もの詩人たちであり、
さらに、幕末維新の志士たちであり、岡倉天心であり、
保田與重郎であつた。
 
 
そして、いま、
この論文を起こしてゐる小川榮太郎氏である。
 
 
その危機が最初に大きく現実化した壬申の乱。
 
 
それをどのやうに捉へ、
どのやうなことばをもつて記述するか。
 
 
その記述によつて、以後の一国のあり方が決められていく。
 
 
地に堕ちた人のことば(言挙げ)だけでやりくりしようとするのか。
 
 
それとも、
神々との繋がりの中で響き来ることば(言霊)に、
みづからを啓きつつ語り、歌つてゆくのか。
 
 
江戸時代の国学者たちは、祝詞と古事記と萬葉集、
とりわけこの三つこそがことばの力に依つた古典であるとした。
 
 
さう、ことばの力(言霊)こそが、
人のこころを救ひ、国の歴史を定め、後の世の流れを左右するのだ。
 
 
萬葉集の歌は、
粗暴なイデオロギーから歌はれたのではなく、
秘めやかな民の心情・草莽のこころざしから歌はれた。

 
国史への悲哀と慟哭が、壬申の乱の後に、
大君に仕へる宮廷歌人である柿本人麻呂によつて歌はれ、
そのいくつもの長歌には、
この国の精神を救ふ偉大なることばの力が見いだされる。
 
 
人麻呂は、
天智天皇・天武天皇、両統の間での、
正邪を断じて正統性を争ふやうな、
そのやうな言挙げを決してしなかつた。
 
 
内乱を描いても敵対や分離を示さなかつた。
 
 
あくまで「国の心の一つに凝り固まらうとする」、
尊皇によるこの国の根本義をもつて壬申の乱を描く。
 
 
その人麻呂の詠歌によつて、
日本の歴史は救はれ、皇室の純粋性は保たれたのだといふ、
家持の直感、保田の深い見識を、小川氏は浮かび上がらせる。
 
 
そのやうな、国の精神を救つた、
人麻呂の神ながらともいへる志からのことば遣ひを、
そのままの精神で掬ひ上げ、
萬葉集として記録したのが編纂者・大伴家持である。
 
 
しかし、藤原氏の政治的専横・暴虐によつて、
自分たち大伴氏族の勢力だけでなく、
大君を慕ひ、仕へ奉る勤皇の精神が、
政治の中枢から失墜し続けてゐる当時。
 
 
その運命的状況の中で、
家持は既に人としての
迷ひ、弱さ、絶望を充分に味はひ知つた人であつた。
 
 
だからこそ、彼こそは当時の時流に抗して、
明晰な意識をもつてその言霊に宿る精神を記録し、
みづからも歌つたのだつた。
 
 
その行為は、
己れ以外のものからの圧力や命令によるものではなく、
ひたすらに己が身の奥底から溢れ出てくる、
大君への真情、草莽のこころざしからのものであつた。
 
 
小川氏はその家持の「覚悟」を見事に描き出してゐる。
 
 
「新しい政治・文化状況を認めない。
 が、政治陰謀には加担しない。認めない事を、
 人麻呂以来の歌の伝統を継ぐことで証立てる。
 ― これが家持の覚悟だつたと見ていい。」
 
 
人の世を生き抜き、この世の栄華を勝ち誇るのではなく、
政治的に必敗の、
このやうな生き方を家持に選ばせたのは、
いつたいどのやうな念ひだつたのか。
 
 
それは、「かけまくも 畏き」「大君の思想」である。
 
 
家持は、
人麻呂の神の力に通はれたやうな志からの歌を、 
歴史の藻屑と消え去つていくことから掬ひ出した。
 
 
さらにその心境にみづから重なるやうに己れの歌を歌つた。
 
 
そして四千五百首以上の優れたやまとことばによる歌を集め、
萬葉集を編んだ。
 
 
さうして、家持は、人麻呂の大君への念ひを、継ぐ。
 
 
その継承からさらに、
家持はその念ひを、
「大君の思想」へと練り上げたのだ。
 
 
現実世界からの逃げではなく、
ことばの精神に生きることこそが
国を究極には救ふのだ。
 
 
そのやうな家持の「見識」と「覚悟」が、
萬葉集といふ我が国最高の古典の源泉、真髄であり、
その覚悟に至るまでの彼の葛藤・勘案が、
萬葉集を貫くリアリティーだつた。
 
 
家持は、
志を述べること、述志こそが、
和歌の真髄であることを意識して実行した、
一人の人だつたのである。
 
 

 
 
【保田與重郎の覚悟】
  
 
昭和の文人、保田與重郎は、
萬葉集に少年時代から親しみ、
江戸時代の土佐の国学者・鹿持雅澄の『萬葉集古義』に、
その「覚悟の系譜」を学び続け、
大東亜戦争勃発直前に、
『萬葉集の精神』といふ著述のために筆を執つた。
 
 
異常な緊張に漲つてゐた当時、
彼は己れの「覚悟」をその家持の「覚悟」に重ねた。
 
 
そしてその態度は、戦後も一貫するのである。
 
 
彼は、
当時のアララギ派を中心とした近代歌論を明確に否定し、
一首一首に表れる美、
ひとりひとりの歌人に表れる美学よりも、
それらを土台で支へる
「国の心の一つに凝り固まらうとする」
志こそが、本質なのだといふ、
萬葉集に対するもつとも古く、もつとも新しい見立てを行ふ。
 
 
そして、戦前、戦中、
ヒステリックに叫ばれる国策としての萬葉集の利用を根柢から侮蔑する。
 
 
そのヒステリックな叫びは、
右往左往する国際情勢からの、
場当たり的な論から生まれたものであり、
国のおほもとに立ち返つての、
揺るがぬ志からのものではなかつたからである。
 
 
当時のアメリカと日本の、
物量における圧倒的な彼我の差は、
当然保田にも認識されてをり、
その上で絶叫される戦意昂揚などに、
彼は全く同調することはできない。
 
 
ここで、小川氏は、
文業に対する保田の身を賭してのあり方を鮮やかに、
かう書き記してゐる。
 
 
「戦が始まつたことをまづ神意と見た上で、
 日本の祷りを行くしかない、
 これは狂信ではなく、
 あの時代に一文学者の立ち得る
 唯一の合理だつたとさへ言へるであらう。
 その意味で、これは寧ろ、時局を批判しながら、
 大東亜戦争の精神を救ふ立場だといふべきではないか。」
 
 
この立場に徹することが、保田の第一の「覚悟」であつた。
 
 
さういふ保田の姿勢を理解したものは、
出征していつた多くの多くの若者たちだつた。
 
 
そして年老いたインテリゲンチャほど、
その草莽のこころざしを理解できなかつた。
 
 
さういふ状況は、彼自身出征し、
帰国した戦後も変はりなく、
戦前親交を持つてゐた亀井勝一郎にさへ、
保田は曲解されてゐる。
 
 
さうして彼は戦後、
アメリカのGHQによる公職追放だけでなく、
文壇からの追放といふ四面楚歌のやうな立場に追ひ込まれる。
 
 
ここで、二つ目の保田の挺身、
「覚悟」が小川氏によつて記されてゐる。
 
 
それは、友であつた亀井のことばに端的に表されてゐるやうな
「いひがかり」に対する戦後のことばである。
 
 
その「いひがかり」とは、
保田の文業が多くの若者を
無残にも戦争に駆り立てたのではないか、
そのことに対する反省は如何、といふものだつた。
 
 
GHQによる占領検閲下の昭和二十四年、
戦前の日本は全否定され、
連合軍の正義と日本軍国主義の悪は絶対的なテーゼだつた。
 
 
その時に、保田は亀井勝一郎に答へる形で、
「小生は戦争に行つた日と同じ気持で、
 海ゆかばを歌ひ、
 朝戸出の挨拶を残して、死す」
と書いた。
 
 
「海ゆかば」とは、大伴家持によつて、
「大君の辺にこそ死なめ 顧みはせじ」
と詠はれた長歌のことである。
 
 
小川氏は書く。
 
 
「戦後かういふことを明確に、
 それもここまで激しい言葉で堂々と言ひ放つた文学者は、
 川端康成や小林秀雄を含め、
 残念ながら他に一人もゐないのである。」
 
 
 
  
 
【覚悟といふ精神の系譜】
  
 
この「覚悟」の系譜を小川氏は改めて家持から辿る。
 
 
壬申の乱後約八十年が経つた後でも、
防人をはじめとする草莽の民たちによつて、
大君への純粋な念ひが詠われる。
 
 
そして、その純粋を裏切るやうな藤原氏の陰謀の政治。
 
 
その間に立つて、
絶大な責任を感じた家持は歌をもつて
「国の柱となり神と民との中間の柱になるものは」
自分以外にないといふ自覚に達したのである。
 
 
昭和十年代に於いて保田與重郎は、
この家持の自覚・覚悟を引き継ぎ、
我が国未曽有の危機である大東亜戦争に面して、
みづからも文人として、
この神と民との間に立つ柱となる自覚を覚える。
 
 
「保田は萬葉集を解いたのではなく、
 自らの言葉で同じ道を踏まうとしたのである。
 保田自身が現に経験してゐた、
 日本の更に巨きな亡びの自覚が、
 それを彼に強ひたからだ。」
 
 
そして、この文章の最後に、
筆者小川榮太郎氏の「覚悟」が、
韜晦のかたちに包まれて記されてゐる。
 
 
「・・・真の戦ひは全く終はらぬまま、
 『国の柱となり神と民との中間の柱となる』
 覚悟のない七十年が過ぎ、
 我々は亡びの過程を今も下降し続けてゐる。
 萬葉集は決して過去の詩歌集などではない
 といふやうな言葉が、
 一体今、誰に届くのかを怪しみながら、
 ひとまづ、私は筆を擱く。」
 
 
文学者とは、
ともすれば離叛していかうとする、
精神と物質を仲介する橋にならうとする人である。
 
 
ことばをもつて、
神と民との中間の柱になることを念じ、
悲願し、
志す人である。
 
 
さういふこころざしを持つ人の系譜が、
柿本人麻呂から大伴家持へ、
そして幕末ごろの国学者たち、維新の志士たちへ、
更に保田與重郎へと引き継がれてゐることを
小川氏は書き記した。
 
 
そして、さらに小川氏自身が、
この系譜の尖端に立つてゐることをも、
わたしは改めて強く感じることである。
 
 
現実の世の混乱・危機から、
人のこころを救ふのは、
究極において、ことばである。
 
 
人のこころを覚醒させ、
非本質的なところから
本質的なところに立ち返らせる、
そんなことばなのである。
 
 
小川氏によるこの
『保田與重郎と萬葉集』といふ文章は、
さういふことばを発し続ける覚悟を固めた人の系譜を記してゐる。
    
 
 
平成二十九年二月 「ことばの家 諏訪」 諏訪耕志
(令和元年十月三十一日 加筆修正)



posted by koji at 21:49 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 読書ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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