現実に己が身の周りに起こることごとと、
〈わたし〉が抱かざるをえない「理想」とは、
どういふ関係にあるのだらう。
着々とその「理想」が現実化してゐる一方、
その「理想」を嘲笑ふかのやうな出来事も目の前で起こる。
そのやうな出来事が起こるたびごとに、
自分自身の「理想」など、
身の程知らずの愚か者が喋々する「夢物語」に思へてくる。
そんな「理想」を喋々してゐる自分自身への不信感に苛まれる。
自己不信の淵に立つてしまふとき、
わたしには昔の人の事績に救われる思ひがする。
偉大な先人は、皆、苦闘されてゐた。
甘い道など、何もなかつた。
再読してゐる最中の保田與重郎の『後鳥羽院』の頁をまた開く。
ーーーーー
限あれば さても耐へける 身の憂さよ
民のわらやに 軒をならべて
この遠い孤島(隠岐の島)に十九年の歳月を送られたことは、
ご壮健の玉体によるとはいへ、
それ以上に激しい精神と烈々の意志に、
末世の我らは畏れ多い教訓さへ感じられたのである。
(後鳥羽院の詩心は)
廣い茫漠とした天地と人間の歴史からわく感銘の自己反省であらうし、
ある永遠な決意と志の詩化である。
ーーーーー
志を貫かうとされた人が、
外的な敗北ゆゑに、
内なる精神が光り輝くありやうを、
かういふ文章からも知ることができる。
いや、そのこと以上に、
失意の中でも「理想」を決して手放さうとはなさらなかつた、
後鳥羽院の孤島での日々の過ごされ方に、
驚異を覚えるのだ。
偉大な先人と自分を比べるのは、
余りにもの不敬の誹りを免れえないが、
しかし、その精神のありやうに、
わたしは最大限に励まされる。
「理想」を生き抜くためには、
毎日、「理想」を熱く考へることではないだらうか。
毎日、その「理想」と内においてひとつになること。
毎日、この「道」を歩くのだといふ決意を、
新たにすること。
そして、毎日、少しずつでも、
この「理想」を現実に行為に移すことである。
毎日、考へ続けることを通して、
「理想」を決して手放さず、
毎日、決意と志から、
「現実」といふ詩を作ることである。
【断想の最新記事】