2019年10月21日

現場における精神の役割


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わたしは、若い頃から、ずつと、
精神からの指針を求めてゐました。
 
 
何を学ぶにしても、何をするにしても、
そこに、精神からの指針が貫かれてゐないものに、
どうしても満足することができなかつたのです。
 
 
二十代の後半、
ルドルフ・シュタイナーに出会ひ、
わたしは、その喘ぎと渇きにも似た認識欲を、
初めて満たすことができました。


しかし、その認識といふものは、
無限の深みをもつものであること、
学べば学ぶほど、
人生の痛みと共に、
気づかされて来たのでした。
 
 
分かつてゐたつもりで、
実は、何も分かつてはゐなかつたことに、
痛みと共に何度も何度も気づかされるのです。
 
 
しかし、かうして仕事をしながら確信することは、
精神からの指針を己れのものにしてゐることほど、
強いものはないといふことです。
 
 
現場で働いてゐる人は、
その職場の教育がよほどしつかりしてゐて、
伝統といつていいやうな環境に恵まれてでもゐない限り、
たいてい、
何を指針にしていいか分からず、
その場その場の状況に、
右往左往してゐます。

 
アントロポゾフィーを学ぶといふこと。
 
 
それは、たとへ翻訳であつても、
原書をひたすらに読みこむことです。

 
そして、そこから必然的に生まれて来る学びの道に、
素直に従つて行くことです。
 
 
そこには、精神からの指針が、
生き物のやうに、脈打つてゐて、
現場で働く人を、
どこまでも支へ、
どこまでも自由にします。
 
 
決して、精神は、人を縛りません。
 
 
その人の真ん中に軸を打ち樹てます。
 

ぶれません。
 
 
さういふ学びこそが、大切に、守護されてしかりです。
 
 
癒しをもたらすやうな体験では、
決して、人生の本当の活路は開かれません。
 
 
これまで「ことばの家 諏訪」においても、
ルドルフ・シュタイナーによる、
『テオゾフィー』、
『自由の哲学』、
『いかにして人は高い世を知るにいたるか』
(いずれも、鈴木一博氏訳)
を講座として読みこんできました。
 
 
そして今は、『普遍人間学』を、
月に一回、
参加者の皆さんと一緒に読みこんでゐます。
 
 
そこに語られてゐること。
 
 
それは、
「人とは何か」
「そして、人はどのやうにすれば、成長していくのか」
といふことに尽きます。
 
 
言語造形を仕事としてゐるわたしなどは、
原書の読みこみ、読み重ね、熟読に助けてもらつて、
その精神の確かさを実感しながら、
子どもたちや生徒さんたちと共に生きてゐます。
 
 
とりわけ、子どもたちは、
その仕事の精神の確かさに、
素直に反応を返してくれます。
 
 
今日は、日本の昔話「さとりのばけもの」を中心に、
いろいろなことばの芸術を楽しみました。
 
 
アントロポゾフィーは、
そんな精神からの仕事を、
静かですが、強烈に推し進めていくための、
現代人にとつてとても大切な精神の糧たりえるものです。
 

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posted by koji at 20:47 | 大阪 ☔ | Comment(0) | アントロポゾフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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