大阪城公園内の豐國神社
今日は、水曜・言語造形クラス。
引き続き、『古事記』を本居宣長の読み下し文でしてみました。
建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)が、八俣遠呂智(やまたおろち)を十拳剣(とつかつるぎ)で斬るに至る場面。
建速須佐之男命と足名椎命(あしなづちのみこと)との間の、二柱の神による、畳み掛けるやうな対話がもたらす、息詰まる切迫感!
この切迫感などは、実際に人によつて言語造形を通して響かせられねば、見いだせないもの。
しかも、現代語訳されたものでなく、古語のままだからこそ感じられる、ことばの音韻がもたらす音楽性と彫塑性。
目で読むだけでは見いだせない、かういふ面白さ、文学の味はひ深さが、言語造形にはある。
言語造形するにふさはしい言語芸術が、日本には古典として残されてゐること・・・。
ことばの感官(言語感覚)を啓くためにも、小学校・中学校から、この古典作品を言語造形することを国語教育に取り入れる先生が出てくればいい・・・。
国の歴史が神話のふところから生まれて来ることの神秘感が、人の内に育てばいい・・・。
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