2019年10月01日

幼な子の欲することば 〜グリム童話「へんな旅芸人」〜


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むかしむかしのおほむかし、ことばは、人の意欲への呼びかけでした。
 
現代のやうに、抽象的な思考をみすぼらしく表現するものではありませんでした。
 
人は、ことばを聴くたびに、からだがうずうずしたのです。
 
さらに、それに応ずる動きをしてしまふことが身についてゐたのです。
 
ことばは、発声器官だけでなく、人の運動器官まるごとのなかに息づいてゐました。
 
いま、人は、このことを忘れてしまつてゐます。
 
しかし、幼な子たちは、まだ、このむかしのことばの性質のなんたるかを知つてゐて、それを欲してゐます。
 
「はじめにことばありき」といふ時の「ことば」のなんたるかを知つてゐます。
 
「ことば」とは、世を創り、動かし、人を創り、動かすものでした。
 
そして、いまも、その「ことば」の働きの精神は、少なくとも幼な子には失はれてをりません。
 
 
 
 
昨日は、グリム童話の8番「へんな旅芸人」を語りました。
 
幼な子たちは、森の中の動物たちが旅芸人(音楽を生きる人)によつて次々とやりこめられる(統御される)様を絵を観るやうに聴きます。
 
語り手の(〈わたし〉による)目覚めて統御された意識。
 
(アストラルのからだによる)鮮やかな身振りと表情。
 
(エーテルのからだによる)呼吸の長短。
 
(フィジカルなからだによる)表現のまるごと、表現のすみずみに動きがあること。
 
旅芸人は、つひに、森の中で、「人」に出会ひます。
 
「人」は斧(つるぎ、でもいいでせう)を振り上げ、けものたちを退散させ、旅芸人を守ります。
 
音楽とは、人の精神に出会ふためのものであり、かつ、人の内なる動物性を統御するものであること。
 
このお話は、そんな精神から語られてきました。
 
そして、ことばのひとつひとつが、動きとかたちをもつて、語られます。
 
それは、ことばそのものが、動きの精神を孕み、かたちの精神を秘めてゐるからです。
 
語り手は、その動きとかたちを顕はにするべく、声にするのです。
 
そのことばの精神と物語の精神は、実際に子どもの前で語る数多くの回数の中で実感されてきます。

 
 
  
 
幼な子たちは、お話を聴きながら、ことばとともに走りたがつてゐます。空を飛びたがつてゐます。海に、川に潜りたがつてゐます。
 
幼な子たちが欲してゐる、そんなことばを与へて行くこと。
 
それが、幼児教育のひとつの指針です。
 
そんなことばで育つことができたなら、その子は、後年、大人になつてから、生命に満ちた精神を、自分自身の力で把握することができます。
 

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posted by koji at 12:55 | 大阪 ☀ | Comment(0) | アントロポゾフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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