2019年09月22日

エーテル界の太陽と月(古事記)



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人は、13,14歳ごろから性的な成熟がからだに現れて来る。
 
男の子は、男のからだのありやうへ、女の子は女のからだのありやうへと、成熟していく。
 
しかし、丁度、そのころ、男の子のエーテルのからだは、まさしく女性の姿をとり始めるのであり、女の子のエーテルのからだは、男性の姿をとり始める。(※)
 
さうして、フィジカル(物理的)なからだにおいて性が表立つことに対して、エーテルのからだにおいては、その対の性を姿としてとることで、人としてのバランスをとらせるといふ、神の計らひだらうか。
 
 
 
さて、ここで、『古事記(ふることぶみ)』の話になる。
 
そこにおいては、とりわけ神代の巻にはエーテル界の顛末が描かれてある。
 
天照大御神は高天原において、太陽を司る「女神」として描かれてゐる。
 
それは、いまだ、フィジカル(物理的)な状態にまで凝つてはゐないエーテルの状態の太陽が女性的な姿をされてをられるからである。
 
そして、フィジカルな次元では、太陽は、まさしく男性的な働きを荷つて下さつてゐる。
 
それは、光と熱を通して、すべての地上のものに命を吹き込む、受精させる、そんな働きである。
 
一方、月は、エーテル界においては月讀命(つくよみのみこと)といふ「男神」として描かれてゐる。
 
そしてフィジカルな次元では、月は、まさしく、女性的な働きを荷つて下さつてゐる。
 
太陽の光を照り返し、夜の国をしろしめされてをられる。
 
 
 
『古事記』は、そのやうに、この大宇宙と地球のなりたちをエーテルの次元において、さらにアストラルの次元において、さらにまぎれない精神の次元において、描いてゐる。
 
 
 

※Rudolf Steiner : Gegenwärtiges Geistesleben und Erziehung 第4講より 
 
 


posted by koji at 22:27 | 大阪 ☁ | Comment(0) | アントロポゾフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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