2019年09月20日

みすまるの玉 〜情の育み〜


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上向いてゐたと思つてゐたら、下向いてゐたり。
 
 
右向いてゐたと思つてゐたら、左向いてゐたり。
 
 
欠けてゐたと思つてゐたら、満ちてゐたり。
 
 
それが、人の情といふもの。
 
 
思ふままにならないものの最たるものが、己れの情ではないだらうか。
 
 
おもに小学生の頃あたりから、褒められることと叱られることを通して、わたしたちは情といふ、己れに湧き上がる得体の知れないものを少しずつ膨らませて来た。
 
 
しかし、大人になつた今でも、その己れに湧き上がる情といふものを手なずけられずに、苦労してゐる。
 
 
 

 
むかしの高貴な人は、胸に玉を下げてゐた。
 
 
「みすまるの玉」と言ふ。
 
 
「みすまる」とは、「総(す)べる」のもとのことば「すばる」といふ動詞が「すまる」となりかはり、その頭に「み」がついて生まれたことば。
 
 
美称としての「み」に、統御するといふ意味の「すまる」を合はせて、「みすまる」。
 
 
「みすまるの玉」とは、「統御された玉」といふことにならう。
 
 
そして、「玉」は、「勾玉」である。
 
 
あの形。
 
 
満ち欠けする月の形。
 
 
伊耶那伎命は月讀命(つくよみのみこと)に「夜の食国(をすくに)を知らせ」とことよさしされた。
 
 
こころの働きの内でも、感じる働き、情の働きは、まるで夜の夢見る営みに似て、無意識と意識の間を漂つてゐる。
 
 
胸に下げられた「みすまるの玉」は、みづからによつて統御された情の徴である。
 
 
そして、きつと、月讀命(つくよみのみこと)は、わたしたち人の情の育みを支へて下さつてをられる神である。
 
 
夜の食国(をすくに)を知らされてをられる神である。
 
 


posted by koji at 23:53 | 大阪 ☔ | Comment(0) | アントロポゾフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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