講義をさせてもらへるといふことは、本当にありがたいことです。
なぜならば、なすべき講義があるからこそ、その講義に向けての準備ができるのであり、その講義に至るまでの準備こそが、わたしにとつて最も大切な時間だからです。
本番に向けての準備といふ営み、それは、ものごとのプロセスといふものであり、獲得された知識が重要なのではなく、知識に至るためにみづから動いたプロセスこそが、己れの成長に資するからなのです。
つまり、誰よりも、講義をさせてもらつたわたしこそが、最も学ばせてもらつてゐるのです。
知識よりも、知識を得るために働いた、その労力こそが、人の成長にとつて大切であること、このたびも、強く感じました。
講義を聴いて下さつた方の内側で、これからこそ、その知識が再び練り直され、消化され、新しい光と力になりますやうに。
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